ケンシロウの永遠の恋人はユリア──ではなく、実は「ユキちゃん」だった。ケンシロウを苦しめた巨漢ハート様は、14歳のころ鳥籠の小鳥を愛でる病弱な美少年だった。断末魔の名セリフ「あべし」「ひでぶ」は、声優陣が収録直前に「今日は後期印象派で死のう」と打ち合わせたアドリブだった──。長年の根強いファンでも、これらをすべて知っている人はほとんどいないはずです。
1983年から88年まで『週刊少年ジャンプ』で連載され、今なお愛され続ける『北斗の拳』には、表の物語と同じくらい濃密な「裏側」が存在していました。
◆ハート様は14歳のころ鳥を愛でる美少年だった 今やVTuberとして第二の人生を歩む
ケンシロウ最初の強敵・シンの部下として登場するハート様。その丸々とした巨体はどんな衝撃も吸収する「拳法殺し」として知られ、ケンシロウをも苦しめた強敵です。しかし、その少年時代は想像もつかない姿でした。
2012年12月発売の『コミックゼノン』に掲載されたスピンオフ読み切り外伝『HEART of Meet〜あの日の約束〜』によれば、14歳のハート様は「アルフレッド」という名の、鳥籠の中の小鳥を愛でる病弱な美少年だったのです。
作中ではハート様が極端に血を恐れる理由も明かされており、それは姉の死に起因するものとして描かれています。
さらに、『北斗の拳』35周年を記念して「バーチャルハート様」名義でVTuberデビューも果たし、YouTubeチャンネル「ハート様のはーとふるステーション」で動画を投稿するなど、主要人物でないにもかかわらず今なお根強い人気を誇るキャラクターとなっています。
◆ケンシロウの恋人はユリアではなく「ユキちゃん」だった 幻の読み切り版に隠された原点
連載版『北斗の拳』のベースとなったのは、1983年の『フレッシュジャンプ』4月号・6月号に掲載された読み切り短編『北斗の拳』と『北斗の拳Ⅱ』の2作品です。
この読み切り版は連載版とは大きく設定が異なり、原作も原哲夫先生自身が手掛けていました。北斗の拳伝承者・霞拳四郎(ケンシロウ)が悪の組織「泰山寺」と戦うストーリーで、後の『蒼天の拳』に近い世界観が描かれています。
注目すべきはヒロインの設定です。連載版ではケンシロウの永遠の恋人として知られるユリアですが、読み切り版での恋人の名前は「ユキちゃん」。主人公の名前「ケンシロウ」と北斗神拳の存在を除けば、ほぼすべての設定が連載版と異なります。
その後、武論尊先生が原作に参加したことでこれらの設定をもとに新たな物語が構築され、連載版が誕生しました。40年以上前の幻の読み切りは近年、コンビニ販売の廉価版やガイドブックに収録されるようになり、「北斗の拳 エピソードゼロ」とも呼ぶべき存在として再び脚光を浴びています。
◆実は北斗神拳の伝承者候補は5人いた 才能に恵まれなかった「キム」の悲しい結末
北斗神拳の伝承者候補といえば、正統伝承者のケンシロウをはじめ、長兄ラオウ、次兄トキ、三男ジャギの四兄弟を思い浮かべる方が多いでしょう。しかし、実はキムという5人目の候補者がいたことは、あまり知られていません。
キムはラオウやトキのような血縁もなく、ケンシロウのような北斗神拳創始者の末裔という血統もありませんでした。それでも師・リュウケンのもとで他の兄弟たちと共に修行に励んでいたのです。
彼はTVアニメ第101話に登場しますが、リュウケンから「才無き者」と判断されて破門されるという、やるせない最期を迎えます。スピンオフ作品『ジュウザ外伝 彷徨の雲』では、道場を去る前に自ら焼いたパンをジュウザへ贈り、「いいパン職人になれる」と温かい言葉をかけてもらう場面が描かれています。
一子相伝ゆえ、正統伝承者になれるのはたった一人。その厳しい現実をあらためて突きつけるキャラクターが、キムだといえるかもしれません。
◆断末魔の吹き替えはほぼアドリブ 「後期印象派で死のう」と打ち合わせをして臨んだ収録現場
「あべし」「ひでぶ」など、個性豊かなザコキャラたちの断末魔は、当時の少年たちの間で大ブームとなりました。その秘密は収録現場にありました。
ナレーションを担当した千葉繁さんはザコキャラの断末魔をアドリブで演じることが多く、それが徐々にエスカレートしていったといいます。
1994年出版の書籍『みんな声優になりたかった:神谷明と25人の声優たち』(出版:オプト・コミュニケーションズ)によれば、神谷明さんは「今日は後期印象派で死のう」と収録前に担当者同士で打ち合わせをし、「ゴッホ!」「ゴーギャン!」などと叫んで録音に臨んだこともあったと明かしています。
また千葉さんは、2015年出版の書籍『一声入魂!アニメ声優塾 (趣味どきっ!)』(出版:NHK出版)や『北斗の拳』公式Webサイトの30周年記念インタビューでも当時の様子を語っており、声優陣で順番に「レ」「バニラ」「イタ」「メ」と言い継いで「レバニラ炒めライス」になるような遊びも行われていたといいます。ただし、自身の名前をもじった「ちーばぁー!」は「それはダメ」と却下されたそうです。
◆ケンシロウのモデルはブルース・リーとメル・ギブソン 主要キャラには実在の俳優がいた
『北斗の拳』の魅力の一つはキャラクターの造形ですが、主要人物の多くには実在の俳優やミュージシャンがモデルとして存在していました。
ケンシロウのモデルについては、原哲夫先生が2023年11月にライフスタイル誌『GOETHE』のウェブ版インタビューで語っており、自身が好きだったブルース・リーや松田優作、そして映画『マッドマックス』主演のメル・ギブソンを組み合わせて生み出されたキャラクターだと説明しています。
レイのモデルはロバート・ランバートという俳優で、シュウは名優クリント・イーストウッドをモデルにしたことが明かされています。また、サウザーは映画『時計じかけのオレンジ』のマルコム・マクダウェル、ユダはボーイ・ジョージ、ユリアの兄リュウガはデヴィッド・ボウイがそれぞれモデルとされています。
一方、ケンシロウ最大の強敵・ラオウは画家フランク・フラゼッタの絵をベースに、名優ルトガー・ハウアーの目だけをモデルとして加えた独特のアプローチで誕生したキャラクターです。
──40年以上の時を経た今もなお、新たな驚きを届け続ける『北斗の拳』。制作秘話やキャラクターの知られざる素顔を知ることで、この名作をより深く楽しめるのではないでしょうか。読み切り版の幻の設定からVTuber化まで、その世界は現代においても進化し続けています。
〈文/相模玲司〉
《相模玲司》
大学卒業後、編集プロダクションに入社。メンズファッショ誌の編集に従事したのち、フリーランスの編集・ライターとして独立。アニメ・漫画関連のムック本の制作や、週刊誌のWeb版でアイドルの取材記事やサブカルチャー記事の作成に携わる。
※サムネイル画像:Amazonより 『「北斗の拳 (ゼノンコミックス) 」第3巻(出版社:コアミックス)』


