『美少女戦士セーラームーン』の作者の武内直子さんと、『HUNTER×HUNTER』の作者の冨樫義博さんが漫画家夫婦であることは有名ですが、ほかにも意外な関係を持つ漫画家たちがいます。
中には、アマチュア時代に『ONE PIECE』のイラストコーナーにハガキが掲載され、のちに漫画家デビューを果たして大ヒット作を世に送り出した人も。
◆高校生のときにイラストが『ONE PIECE』のコミックスに掲載──『ヒロアカ』原作者・堀越耕平先生
『僕のヒーローアカデミア』の作者の堀越耕平先生は、高校生の頃、『ONE PIECE』の読者投稿コーナー「ウソップギャラリー海賊団」にイラストを掲載されたことがあります。
海軍の「スモーカー」を描いた堀越耕平先生のイラストは、コミックス第23巻に掲載されています。
その後、堀越耕平先生は2007年に漫画家デビューを果たし、2014年から約10年間にわたって『週刊少年ジャンプ』で連載された『僕のヒーローアカデミア』を大ヒットさせます。
堀越耕平先生は、デビュー後しばらくの間、尾田栄一郎先生に自分のイラストが掲載されていたことを伝えていませんでした。しかし、『ONE PIECE』コミックス第77巻のSBSで、尾田栄一郎先生は「学生の頃にハガキを送ってくれた彼は今、立派にプロの漫画家となって花開いているのです!!」とコメントし、『僕のヒーローアカデミア』の成功を喜んでいました。
◆13歳の若さで『ONE PIECE』のイラストコーナーで大賞を受賞──『CRASH!』原作者・藤原ゆか先生
雑誌『りぼん』で漫画家デビューした藤原ゆか先生は、13歳のとき、『ONE PIECE』のコミックス第6巻の「ウソップギャラリー海賊団」で大賞に輝いています。
17歳で漫画家となった藤原ゆか先生は『りぼん』で活躍し、『CRASH!』などのヒット作を生み出しています。『CRASH!』はラジオドラマやショートアニメにもなりました。
藤原ゆか先生のデビューは尾田栄一郎先生の耳にも入り、『CRASH!』のコミックス第1巻の帯の宣伝文では、ルフィのイラスト入りで「やる女だと思ってたぜ!!」とコメントを寄せています。
藤原ゆか先生は、ブログ『ふじわらにっき*』の2007年10月の投稿で、かつて大賞を受賞したことを振り返り、「当時、中学2年生の私はこんなこと予想だにしていませんでした」「私が一番びっくりしています」と綴っていました。
藤原ゆか先生は、尾田栄一郎先生にコメントのお礼に手紙とイラストを送り、それが『ONE PIECE』のコミックス第50巻に掲載されたこともブログで明かしています。
コミックス内では「UGK(ウソップギャラリー海賊団)からプロが出た!!」「藤原ゆかに続けェ!」とウソップのコメントとともに、新たに描いたペローナのイラストが紹介されています。
藤原ゆか先生は現在、少女漫画以外にジャニーズ事務所(現:株式会社SMILE-UP.)の公式漫画を執筆するなど、活動の幅を広げています。
◆『刃牙』シリーズ作者の三女が漫画家に!──『BEASTARS』原作者・板垣巴留先生
『グラップラー刃牙』シリーズの作者・板垣恵介先生の三女・板垣巴留先生は、2019年にアニメ化もされた『BEASTARS』の作者です。
板垣巴留先生は、長らく板垣恵介先生との親子関係を公表していませんでしたが、2019年に「週刊少年チャンピオン50周年記念サイト」で親子対談が実現しました。
「板垣恵介先生×板垣巴留先生 対談 レジェンドインタビュー」で、板垣巴留先生は、「コネや七光りで載せてもらったって思われるが辛かったんで、実力で頑張んないとなっていう気持ちで、公にしてこなかった」とコメントしています。
娘が偉大な漫画家を父に持つプレッシャーを感じる一方で、板垣恵介先生は板垣巴留先生の才能を評価しており、同インタビューの中で「娘というよりはやばい新人が来たなっていう感覚が俺の中では芽生えてた」と明かすなど、同じ漫画家として活躍できることを喜んでいるようでした。
◆『ど根性ガエル』成功の裏で家庭崩壊?──『ど根性ガエルの娘』原作者・大月悠祐子
『ど根性ガエル』の作者・吉沢やすみ先生の娘の大月悠祐子先生も漫画家であり、かつては「かなん」のペンネームで『ギャラクシーエンジェル』シリーズのキャラクターデザインや、コミカライズ版の執筆をしていました。
大月悠祐子先生は、2015年に衝撃の事実を綴ったエッセイ漫画『ど根性ガエルの娘』を発表し、話題となりました。
『ど根性ガエルの娘』では、吉沢やすみ先生が、『ど根性ガエル』の連載終了後、ヒット作に恵まれず、精神的に追い詰められていく様子が描かれています。
さらに吉沢やすみ先生はギャンブルにのめりこみ、1982年には妻子とアシスタントを残して失踪してしまいます。
アシスタントだけで漫画の連載を続けることは難しく、最終的に13本もの原稿を落とすことになってしまいました。
1999年にも吉沢やすみ先生は漫画の締め切りを無視してパチンコ店に赴き、出版社の人からの連絡を受けて探しに来た大月悠祐子先生を怒鳴りつけ、近くにあったゴミ箱を投げつけて姿を消します。
『ど根性ガエルの娘』は、成功者の影の部分を描いた衝撃作として、多くの人の心に残りました。
──成功はおろか、デビューすることも難しい漫画家という職業。板垣恵介先生や吉沢やすみ先生のように、親子で漫画家をしているケースは珍しいでしょう。
堀越耕平先生や藤原ゆか先生のように、アマチュア時代に才能を認められ、プロの漫画家として成功する人もいます。
〈文/花束ひよこ〉
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