<この記事には劇場版『チェンソーマン レゼ篇』のネタバレが登場します。ご注意ください。>
週末動員数でついに『鬼滅の刃』の牙城を崩し初登場1位を記録した劇場版『チェンソーマン レゼ篇』。原作ファンはもちろん、初めて作品に触れる人でも楽しめる内容になっています。そんな『レゼ篇』では、原作でも詳しく触れられていない謎や注目点が存在します。
◆悪魔と魔人の違いって何?
現在、東宝MOVIEチャンネルで公開中のWEB CM【キャラクター篇】では、『レゼ篇』に登場するさまざまなキャラクターたちが紹介されています。そこでは、デンジやマキマ、レゼといった主要キャラたち以外に、天使の悪魔、台風の悪魔、暴力の魔人、サメの魔人“ビーム”など多くの悪魔たちが登場します。
当たり前のように紹介される悪魔や魔人ですが、そもそも悪魔と魔人はどう違うのでしょうか? 劇場版ではもちろん、実は原作でもあまり解説されていません。まず悪魔について、第6話でマキマは「すべての悪魔は名前を持って生まれてくる」と説明しています。そして、名前が恐れられるものほど悪魔自身の力も増すとも言っています。つまり、悪魔は人間の恐怖によって生み出され、「恐怖される」名前がついているか否かで悪魔の強弱や序列が決まる存在なのです。
一方で魔人については、第4話で早川アキが簡単に説明しています。魔人は「悪魔が人間の遺体を乗っ取った存在」で頭の形状が特徴的なことから一発で見分けがつきます。たとえば、デンジとバディを組む血の魔人“パワー”はツノが生えていますし、ビームも頭部が“サメ”そのものとなっています。それ以外はほぼ悪魔と同じ存在で、名前がついている悪魔の能力は使用できますし、致命傷でない限り血を飲めば回復できます。
つまり、悪魔と魔人の違いは人間の遺体に憑依しているかいないかしか判明していません。しかし、実はそれ以外にも大きな違いがあると考えられます。それが明確な「強さ」です。作中の描写を見る限り、魔人になると悪魔であったころよりも身体能力や生命力が大幅に弱体化してしまいます。
実際、作中では魔人が単独で悪魔を圧倒する描写はないですし、第5話でもパワーが「魔人になる前は超恐れられてた悪魔じゃった」と言っています。つまり、悪魔側からしたら魔人になるメリットはほとんどありません。このことから悪魔の魔人化は、悪魔が窮地に追いやられた際の最後の手段だと推察できます。
◆チェンソーマンやサムライソードのような特異な存在
そして悪魔でも魔人でもない、さらに特異な存在がチェンソーマンやサムライソードといった存在です。彼らの存在について、第2話でマキマが「前例がとても少なく名前もまだついていない」と言っています。ちなみに読者の間では、第94話のサブタイトルから通称「武器人間」と呼ばれています。
武器人間は一見すると魔人と似ていますが、魔人と違い外見が人間そのままとなっているのが特徴です。また、魔人は人間の遺体を乗っ取ることで誕生しますが、武器人間は悪魔が人間の心臓の代わりとなることで生まれると推測できます。これについては、第1話でのデンジとポチタの描写や、第36話での「心臓を刀の悪魔にされた」というサムライソードの発言からほぼ間違いないでしょう。
さらに武器人間の特筆すべき点はなんといってもその不死性です。事実、第30話で登場した最強のデビルハンター・岸辺は、打倒サムライソードに備えデンジとパワーに稽古をつけた際、「男の方は不死身、魔人の方は半分不死身」と語っています。
不死身のカラクリは武器人間に共通する「トリガー」になります。たとえばデンジの場合、仮に命を落としても胸から飛び出たポチタの尻尾、スターターロープを引っ張ることで何度でも復活できます。また、サムライソードの場合も、第38話で「左手の刀を引き抜いたら復活した」とデンジが語っていることから、トリガーが左手に仕込まれた刀であると判明しています。
このことから、武器人間はトリガーさえ操作できれば不死身なのです。しかし、逆を言えば、命を落とした際、周りにトリガーを操作できる人間がいなければ、永遠に復活できないのです。
予告PVやWEB CM【キャラクター篇】では謎の存在「ボム」の登場が示唆されています。果たしてボムは悪魔なのか魔人なのか、それとも武器人間なのか、注目してみるのも面白いかもしれません。
◆挿入歌とエンディング曲にある「ジェーン」ってどういう意味?
米津玄師さんと宇多田ヒカルさんによるコラボレーションが注目を集めるエンディングテーマ「JANE DOE」。さらに『レゼ篇』の公式Webサイトで紹介されているサウンドトラックに収録されている挿入歌「ジェーンは教会で眠った」。
奇しくも2つの楽曲に「ジェーン」という女性の名前が含まれています。この「ジェーン」という言葉には、『レゼ篇』の楽曲製作陣が仕掛けた物語をより盛り上げるための趣向があると考えられます。
まず、楽曲「JANE DOE」ですが読み方は「ジェーン・ドウ」で、意味はいわゆる「名無しの権兵衛」の女性版になります。語源は、英語圏ではありふれた女性の名前である「ジェーン」に、架空のファミリーネーム「ドウ」が用いられたというのが通説のようです。何者でもない存在という意味と、ごく平凡な「ジェーン」という名前が重なっている点が注目になります。
また、挿入歌「ジェーンは教会で眠った」ですが、実は原作第43話でも同名のサブタイトルが用いられています。作中でも劇中でも、とある人物がロシア語で歌っているのですが、その内容は至って平凡な日々が紡がれています。「コーヒーを飲んで、散歩して、愛する人に会って……」、そして最後は教会で眠りにつく。ジェーンという一般的な女性が過ごすであろう、何気ない日常や幸せが歌われている点が注目になります。
『レゼ篇』を最後まで視聴した時、「ジェーン」という名前がどのキャラクターの暗喩だったのか、またどういった意味が込められていたのかが理解できるかもしれません。
──『レゼ篇』では劇場版として、アニメーション、楽曲、音響、演出、あらゆる面に工夫が張り巡らされていました。藤本タツキ先生は遊び心にあふれた作風をしていますが、その遊び心が映画制作に関わるスタッフたちにも継承されていたのかもしれません。
〈文/fuku_yoshi〉
《fuku_yoshi》
出版社2社で10年勤め上げた元編集者。男性向けライフスタイル誌やムックを中心に、漫画編集者としても経験を積む。その後独立しフリーライターに。現在は、映画やアニメといったサブカルチャーを中心に記事を執筆する。YouTubeなどの動画投稿サイトで漫画やアニメを扱うチャンネルのシナリオ作成にも協力し、20本以上の再生回数100万回超えの動画作りに貢献。漫画考察の記事では、元編集者の視点を交えながら論理的な繋がりで考察するのが強み。最近では、趣味で小説にも挑戦中。X(旧Twitter)⇒@fukuyoshi5
※サムネイル画像:『劇場版「チェンソーマン レゼ篇」キービジュアル © 2025 MAPPA/チェンソーマンプロジェクト © 藤本タツキ/集英社』