『千と千尋の神隠し』(以下、『千と千尋』)が1月2日に『金曜ロードショー』で放送されましたが、実は主人公の荻野千尋の名前は当初、別の名前になる予定であったといいます。
◆「そうだ千晶の映画を作ろう!」──宮崎駿監督の一声で企画が始まった
2006年3月出版の『宮崎駿全書』(出版社:フィルムアート社)によると、宮崎駿監督は信州に山小屋を所有しており、毎年夏にはスタジオジブリの関係者や、その子供たちを招いて合宿を行っていたといいます。
その場には宮崎監督の友人で、日本テレビの社員・奥田誠治さんの娘・千晶さんも遊びに来ていて、監督もかわいがっていたそうです。
2016年3月出版の『ジブリの教科書12 千と千尋の神隠し』(出版社:文藝春秋)によると、ある日、宮崎監督は「千晶の映画をやろうか」と提案し、その後、同作は『千の神隠し』という仮のタイトルで企画がスタート。
2016年6月出版の『熱風 スタジオジブリの好奇心 14巻6号』(発行:スタジオジブリ出版部)では、当初、主人公の名前は奥田さんの娘の名前をそのまま使う予定だったものの、「教育上よくない」との理由で「千晶」から「千尋」に変更されたことなどが明かされています。
──『千と千尋』は、さまざまな企画が二転三転して、やっと映画化、ヒットを生み出した作品でもあり、製作に相当な時間がかかっていることがうかがえます。千尋の名前が千晶になるかもしれなかったこのエピソードもそんな紆余曲折のほんの一部にすぎず、宮崎監督をはじめさまざまな人たちの意見やアイデアがぶつかりあったからこそ、いつまでも心に残る名作が誕生したのかもしれません。
〈文/相模玲司〉
《相模玲司》
大学卒業後、編集プロダクションに入社。メンズファッショ誌の編集に従事したのち、フリーランスの編集・ライターとして独立。アニメ・漫画関連のムック本の制作や、週刊誌のWeb版の取材記事の作成に携わる。
※サムネイル画像:スタジオジブリ公式Webサイトより 『「千と千尋の神隠し」場面写真 (C) 2001 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, NDDTM』



