何度世界が終わっても、必ずシンジの前に現れ、「今度こそ君を幸せにする」と告げる渚カヲル。『エヴァンゲリオン』シリーズにおいて、彼は“ループする世界”を唯一記憶しているかのように描かれる特別な存在です。彼が背負う“記憶”は何を意味し、なぜその記憶は繰り返される物語の中で「意思」を持ち続けるのでしょうか。

◆繰り返しの世界で“記憶”を持つ唯一の存在

  渚カヲルはTV版『新世紀エヴァンゲリオン』第24話に初登場して以来、旧劇場版『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』、さらに新劇場版シリーズでも必ずシンジの前に現れる特別な存在です。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の「また3番目の少年に会えるね」 というセリフや『シン・エヴァンゲリオン劇場版』での親しげな態度は、過去の世界を覚えているかのように響きます。

 ファンの間では、彼が「世界の繰り返しを知る唯一の記憶者」であることが広く議論されてきました。庵野秀明監督は2021年に放送されたNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』で「同じ出来事を何度も繰り返す中でキャラクターがどう変化するのかを描きたかった」と語っており、このテーマがカヲルの役割に深く結びついていることを示しています。

 旧劇と新劇を通して繰り返しを暗示する映像的モチーフも散見されます。赤い海に沈む世界、使徒の再来、そしてエヴァの暴走──。どれも一度終わったはずの世界が再構築され、カヲルだけが「その前」を知る者として描かれています。カヲルが「また会えるよ」と語るのは、繰り返しの中でも彼だけが“確信”を持っている証拠といえます 。

 渚カヲルがほかのキャラクターと明確に違うのは、彼が時間の流れに囚われない「存在」である点です。これはたんなる物理的な時間軸の問題ではなく、物語世界の根幹に関わる重要な設定です。

 旧劇場版『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』の終盤では、シンジが自身の葛藤と向き合いながら、カヲルの命を奪う決断を下す場面が描かれますが、そのトラウマや感情は新劇場版シリーズへと引き継がれています。つまり、カヲルは時間を超えた「記憶の媒介者」として機能し、彼の存在自体が「世界の再構築」と「繰り返し」をつなぐ橋渡しをしているのです。

 こうした設定は庵野監督の意図と密接に関係しています。NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』のインタビューで庵野監督は、「人は失敗を繰り返しながら成長していく。その過程を描きたかった」と語っています 。

◆記憶者としての証拠──映像とセリフが示すループ

 カヲルの「記憶者」としての役割は、シリーズ全体に散りばめられたセリフや行動から明らかです。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』では、彼がシンジに「今度こそ君を幸せにする」と告げ、二人の関係に繰り返しがあることを示唆しています。また、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』では「また会えるよ」という別れの言葉が、世界の再生と終わりを知っていることを物語っています 。

 彼の呼称がTV版で「第17使徒」、新劇で「第13の使徒」と変化していること自体、ループのたびに世界が書き換えられている証拠といえます。

  旧劇場版『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』では、シンジがカヲルを手にかけた記憶が、彼のトラウマとして次の世界に持ち越される可能性が示唆されます。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』で描かれた、シンジに寄り添い続けるカヲルの姿は、過去の世界の痛みを理解しているからこそ可能な無条件の受容を感じさせます。この繰り返しの記憶は、カヲルをシリーズの中で唯一の「意思ある存在」にしています。

  加えて、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のAAAヴンダーでのカヲルとシンジの短い対話シーンにおいて、彼が「やり直すチャンスはあるよ」と静かに告げる瞬間があります。これは彼が時間の非連続性を理解し、何度世界が崩壊しても修正可能であると信じている証左です。こうした描写は、観客に“やり直し”の概念が物語の本質に深く組み込まれていることを印象付けます。

◆“意思ある存在”としてのカヲル──繰り返しに抗う行動原理

 カヲルが特異なのは、記憶を保持するだけでなく、その記憶に基づき「意思をもって」選択し続けることにあります。

 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』ではシンジと共に槍を抜き、世界の修復を試みますが失敗し、最終的に自らの命を犠牲にします。「君を幸せにするためなら、僕は何度でも繰り返す」という言葉には、過去の失敗を受け入れながらも希望を諦めない決意が表れています。

 また、シリーズを通じて繰り返されるのは、カヲルの「失敗」だけではありません。彼が繰り返し世界に介入する理由は、シンジを救いたいという揺るぎない願いにあります。たとえ結果が変わらなくとも、その過程に意味を見出し続ける姿勢は、視聴者に「私たちは失敗の連続の中でも希望を持ち続けられるのか」という問いを投げかけます。

 カヲルの行動は、絶望の中でも希望を選び取る人間の姿の象徴です。さらに、ファンの間で語り継がれる名場面として『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の「ピアノ連弾」のシークエンスがあり、カヲルがシンジに音楽を通じて新たな世界のハーモニーを提示する姿は、過去の記憶に基づく「未来の模索」を象徴しています。

 『シン・エヴァンゲリオン劇場版』終盤での「L結界密度の低下」を背景にした世界再生の描写においても、カヲルは最後までシンジを支えようとします。この場面は、繰り返しの中でも必ず手を差し伸べるという彼の一貫性を象徴しており、記憶者としての彼の矜持を鮮やかに浮かび上がらせています。

◆渚カヲルが物語に残した問い──繰り返しの先に何があるのか

  終わらないループの中で、カヲルは「意思を持つ記憶者」として行動し続けますが、その試みは常に失敗に終わり、彼自身も終わりなき輪に囚われています。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』での「君と僕は何度でも会える」という言葉は、記憶をもつ彼だからこそ語れる、繰り返しの先に続く希望の象徴といえます。

 庵野監督はNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』のインタビューで「繰り返しを描くのは、人間が失敗から成長する姿を描きたいから」と語り 、ループを繰り返す渚カヲルこそ、このテーマを最も純粋に体現する存在だと示唆しました。

 この言葉は、カヲルの繰り返す姿が「人間の成長と変化のメタファー」であることを示しています。つまり、彼が挑み続けるのは「同じ過ちを繰り返さずに未来を選び取ること」の象徴なのです。

 また、カヲルの犠牲や自己否定は「希望」と「絶望」のはざまに揺れる人間の複雑な感情を映し出しています。彼の存在は「死と再生」「破壊と創造」という『エヴァンゲリオン』の根本テーマを体現しており、その繰り返しの中で私たちに「変化する勇気」と「諦めない心」を訴えかけています。

 彼が絶望的な運命の中でも「未来を変える意思」を持ち続けているからカヲルの姿に共感できると考えます。その姿は、多くの人が人生で直面する失敗や苦難に立ち向かう勇気の象徴であり、『エヴァンゲリオン』という物語が提示する「人間の本質的な問い」を体現しているといえるでしょう。

  視聴者は、彼が繰り返しの中で問いかける「私たちは過ちを繰り返さずに未来を選べるのか」という根源的なテーマと向き合うことになります。ループする世界で唯一「記憶」と「意思」を持ち、シンジを救い続ける渚カヲル。その存在は、『エヴァンゲリオン』が提示し続ける「希望と絶望のはざまで人はどう生きるのか」という普遍的な問いそのものなのかもしれません。

〈文/anri〉

 

※サムネイル画像:Amazonより 『「【愛蔵版】新世紀エヴァンゲリオン」第6巻(出版社:KADOKAWA )』


※お詫びと訂正

本文中に一部、誤表記がありました。正しくは以下の表記となります。

深くお詫びするとともに、以下の通り訂正させていただきます。

【誤】

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』では、彼がシンジに「今度こそ君を幸せにする」と告げ、二人の関係に繰り返しがあることを示唆しています。また、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』では「また会えるよ」という別れの言葉が、世界の再生と終わりを知っていることを物語っています。

【正】

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』では、彼がシンジに「今度こそ君を幸せにする」と告げ、二人の関係に繰り返しがあることを示唆しています。また、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』では「また会えるよ」という別れの言葉が、世界の再生と終わりを知っていることを物語っています 。

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