ジブリ作品が3週にわたって『金曜ロードショー』で放送されており、先週は『火垂るの墓』が放送されSNSなどを賑わせ、きょう8月22日には『崖の上のポニョ』が放送されます。今回の『金曜ロードショー』にはラインアップされていませんが、『千と千尋の神隠し』と『魔女の宅急便』には、いくつか裏話があり、それを知っているとジブリ作品をより深く楽しめるかもしれません。
◆『千と千尋』のあまり知られていない裏話
2001年の公開から、今年で26年目を迎える『千と千尋の神隠し』。名作として名高い同作ですが、誕生のきっかけは宮崎駿監督のとある「思い付き」だったようです。
●荻野千尋のモデルになった少女がいる?──当初、名前は「千晶」の予定だった
2006年3月出版の『宮崎駿全書』(出版社:フィルムアート社)によると、宮崎駿監督は信州に山小屋を所有しており、毎年夏にはスタジオジブリの関係者や、その子供たちを招いて合宿を行っていたといいます。
その場には宮崎監督の友人で、日本テレビの社員・奥田誠治さんの娘・千晶さんも遊びに来ていて、監督もかわいがっていたそうです。
2016年3月出版の『ジブリの教科書12 千と千尋の神隠し』(出版社:文藝春秋)によると、ある日、宮崎監督は「千晶の映画をやろうか」と提案し、その後、同作は『千の神隠し』という仮のタイトルで企画がスタート。
2016年6月出版の『熱風 スタジオジブリの好奇心 14巻6号』(発行:スタジオジブリ出版部)では、当初、主人公の名前は奥田さんの娘の名前をそのまま使う予定だったものの、「教育上よくない」との理由で「千晶」から「千尋」に変更されたことなどが明かされています。
●主題歌「いつも何度でも」は幻のジブリ作品の曲になる予定だった?──『もののけ姫』を観て思いついた結果……
木村弓さんが歌う主題歌「いつも何度でも」は、多くのアーティストがカバー曲をリリースするほど人気を誇り、今でも愛される楽曲の一つです。
2022年1月、『文春オンライン』で公開された「“呼んでいる〜”『千と千尋』主題歌「いつも何度でも」誕生前夜、ボツになった“幻のジブリ作品”が…宮崎駿監督から届いた手紙「残念ながら挫折しました」という記事のインタビューで、木村さんは『もののけ姫』を視聴したことが楽曲の誕生のきっかけになったことを明かしています。
ですが、意外にも当初は『千と千尋の神隠し』ではなく、『煙突描きのリン』という別のジブリ作品に使われる予定だったのだとか。
しかし、宮崎監督から「残念ながら、かんじんの『煙突描きのリン』が挫折しました」とお蔵入りになってしまった旨の手紙が届いたものの、「くり返し くり返し聴かせていただきました。いい歌です。詩も素敵です」「煙突の上でこの歌を口ずさむリンの横顔が目に浮ぶようです」「いつも何度でも イイ歌です。遠くを見つめる澄んだまなざしと、近くのものへのやさしさと両方を持っていて、その上、風を感じます。どうか大切に育てて下さい」と絶賛されていたそうです。
そして、「いつも何度でも」は紆余曲折を経て『千と千尋の神隠し』の主題歌に起用され、木村さんの代表曲となったのでした。
詳しく読む⇒『千と千尋』に関する4つの裏話 「カオナシは脇役のハズだった」「千尋の両親が食べていたのはアノ有名な商品?」ほか
◆『魔女の宅急便』に隠された裏話
ジブリ映画には多くの意外な「裏設定」や「都市伝説的な噂」がありますが、『魔女の宅急便』も例外ではありません。キャラ設定にまつわるまことしやかな「裏設定」や、現実的な「お金事情」など、意外すぎるさまざまな裏話があります。
●先輩魔女は「夜の街」に住んでいた?
物語序盤、キキが飛行中に出会った先輩魔女について、世間ではさまざまな憶測が飛び交っていますが、中でも特に信ぴょう性が高いのが、先輩魔女が暮らす街がいわゆる「夜の街」ではないか? という説です。
宮崎駿監督は、キキが修行の場として選んだコリコの街について、スウェーデンのストックホルムやアイルランド、フランスのパリなどの風景を織り交ぜて創作した「二度の大戦を経験しなかったヨーロッパ」をイメージしていると、2006年3月に出版された『宮崎駿全書』(出版:フィルムアート社)の中で語っています。
一方、先輩魔女が帰って行った街には赤い風車がありました。ヨーロッパで赤い風車といえばフランス・パリの「ムーラン・ルージュ」が代表的です。「ムーラン・ルージュ」とは、1889年にパリ市内のモンマルトルに誕生した「キャバレー」で、フランス語でそのまま「赤い風車」を意味します。
先輩魔女とキキが出会ったのは夜空でしたが、その街には多くのネオンが灯り賑わっていたことから、「ムーラン・ルージュ」がモデルになった可能性が高そうです。
また、夜の街では若い女性が多く働いているため、恋愛関係をはじめ悩みを抱える人も多いでしょう。そういった観点からも、先輩魔女が生業としていた「恋占い」の需要があるのも納得できます。
●映画スポンサーが付いたのは「ジジ」がいたお陰?
今でこそジブリの新作アニメ映画となれば、大きな話題となり毎回のようにヒットを記録していますが、映画『魔女の宅急便』の企画が持ち上がった1985年当時は、スポンサーを募るのも大変だったといいます。
『宮崎駿全書』によれば、『魔女の宅急便』の長編アニメーション化の企画を立ち上げた映画プロダクション「風土舎」が、「宅急便」つながりで真っ先にスポンサーを要請したのが、「クロネコヤマトの宅急便」で有名なヤマト運輸でした。
当時、アニメ映画企画はまだ下火だったこともあり、ヤマト運輸は当初難色を示していたそうですが、作中に「黒猫のジジ」が登場することを知ったことで次第に前向きになり、最終的にスポンサーになることを了承したそうです。
また、2022年4月29日に『文春オンライン』に掲載された「なぜキキは飛べなくなったのか『魔女の宅急便』の「疎外感」という恐怖」という記事によると、宮崎駿監督は『となりのトトロ』の制作を開始したばかりだったため、当初は『魔女の宅急便』ではプロデューサーのみを務める予定だったそう。
ところが、ヤマト運輸をはじめとする主要スポンサーが「宮崎駿監督作品以外に出資するつもりはない」との意向を示したことで、宮崎駿監督が監督兼プロデューサーとなり、私たちの知る『魔女の宅急便』が誕生しました。
もしジジというキャラクターがいなければ、映画『魔女の宅急便』は、まったく違う作品になっていたかもしれません。
詳しく読む⇒『魔女の宅急便』の4つの裏話 「先輩魔女が住むのは夜の街?」「スポンサーが付いたのはジジのお陰?」ほか
〈文/アニギャラ☆REW編集部〉
※サムネイル画像:『「千と千尋の神隠し」場面写真 © 2001 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, NDDTM』