『ガンダム』シリーズの主人公は物語のはじめは民間人であることが多く、人の死を最初に目撃した際、それぞれの主人公によってさまざまなリアクションを見せています。彼らの行動・言動には時代背景が投影されており、アムロは命のやり取りをあえて意識しないようにしていました。また、シーブックと三日月では、あまりにも対照的な反応をしています。

『ガンダム』シリーズの主人公の死生観は、その時代の少年少女の置かれている状況を反映しているのかもしれません。

◆相手がザクなら人間じゃないの真意──アムロ

 アムロは『機動戦士ガンダム』の第2話でシャア専用ザクに対してビームライフルを撃つ際に、「相手がザクなら人間じゃないんだ」と言っていました。

 当然ザクのコックピットに人間が乗っていることは理解しているアムロですが、この場面の前にコロニー内でノーマルスーツ姿のシャアにビームライフルを向けていました。

 モビルスーツでなく生身の人間に銃口を向けて、今から相手の命を奪うプレッシャーに、この時のアムロは耐えられず、呼吸を乱し、発射したビームもすべて外しています。

 のちにランバ・ラルから「戦いに敗れるということはこういうことだ!」と目の前で手榴弾を抱えて爆発する姿を見せつけられ、兵士として命のやり取りに慣れていきます。

 第13話で母カマリアと再会した際には、彼女の見ている前でジオン兵に発砲し、悲しませます。

 それでも最初はあくまでも民間人で、戦時中であっても敵の命を奪うことに積極的にはなれない、平和な生き方をしてきたことが分かるセリフでした。

◆生身の人間にバルカン乱射!──カミーユ

 そんなアムロと対照的に『機動戦士Ζガンダム』のカミーユは、ジェリドに名前をからかわれたことに腹を立て、軍人であるジェリドを殴り飛ばし、ティターンズに拘束されます。

 墜落したガンダムMk-IIを奪ってからは、暴力的な尋問を行ったティターンズ兵に対して、バルカンを乱射し踏みつぶそうと追いかけながら「一方的に殴られる痛さと怖さを教えてやろうか!」と暴れ放題でした。

 一年戦争が終わった後のティターンズの支配的な空気が、カミーユのような若者たちにもフラストレーションをため込ませていたのかもしれません。

 特にカミーユは「両親に親をやってほしかった」と言うほど、機能不全を起こした家庭で育っていて、冷静な観察力を持つ知性とは不釣り合いなほど、感受性の高さや衝動性の高さがコントロールできていませんでした。

 テレビ版のカミーユはその感受性の高さが災いして、救えなかった命の多さに引っ張られるように精神崩壊してしまいますが、劇場版ではファを筆頭にした人々との関わりから、精神を崩壊させることなく、肉体に精神をつなぎとめて生きていきます。

◆友達への万感の思いを一言に込めて──シーブック

 目の前で命を落とした友達に向かって、シーブックは「だってよ、アーサーなんだぜ?」と言いました。

 戦争博物館に逃げ込んだシーブックと友人たちは展示物のガンタンクR-44でクロスボーン・バンガードのモビルスーツを迎撃します。

 その時砲身の上でバズーカを構えていたアーサーは、デナン・ゲーの攻撃で吹き飛び、ビルの外壁にぶつかって命を落としました。

 シーブックはそんなアーサーを放っておくことはできず、亡骸に対して話しかけ続けます。

 アーサーとシーブックの間にどれだけの友情があったのかを示す具体的な描写自体はほとんどありませんが、目の前で起こった出来事を受け止められず、野ざらしになる友達を諦められないでいるセリフです。

 同時に、シーブックがそれまで命のやり取りと無縁の平和な生活ができていたことも伝わってきます。

『機動戦士ガンダムF91』が封切られた1991年はイラクによるクウェート侵攻を発端とした湾岸戦争の記憶も新しく、平和な暮らしと戦争の報道が同時に存在していた時期です。

 急に貴族主義をかかげてコロニーを占拠したクロスボーン・バンガードの出現は、文字通りテロル(恐怖)だったと言えます。

◆「もうフミタンじゃない」──三日月

『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』第16話で、フミタンはクーデリアをかばって命を落とします。

 クーデリアに覆いかぶさったままのフミタンに対して、クーデリアはシーブックがアーサーにしたのと同じように声をかけ続けますが、そこに現れた三日月は「もうフミタンじゃない」と淡々と告げました。

 鉄華団の団員達はその出生から命のやり取りに関わることも多く、特に三日月は死生観において達観と言うかあえて思考停止をしている素振りがあります。

 クーデリアとフミタンの関係もしっかり描かれて、三日月達にとっても仲間意識が芽生えているような段階であっても、クーデリアの護衛任務の完遂が最優先されると言う、思考停止するが故にシンプルで即断即決できる三日月らしい場面だと言えます。

『ガンダム』シリーズの主人公は悩んで成長するキャラクターが多い中、頭脳労働をほとんどすべてオルガに頼っていた三日月は珍しい主人公ですが、それだけではなく、最終回で命を落としたことも異例ですし、加えてアトラとの間に子供を遺していたことも異例でした。

 阿頼耶識システムのリミッターを外した戦闘をくり返し、体が自由に動かなくなる中で、「もう三日月ではなくなる」ことを、三日月なりに考えた結果が、子供を作ることだったのかもしれません。

〈文/雨琴〉

 

※サムネイル画像:Amazonより

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