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 きょう815日に『金曜ロードショー』で放送されるアニメ映画『火垂るの墓』は、原作者・野坂昭如さんの戦時中の体験をもとに制作されました。

 本作は、映画向けに脚色されたシーンもありますが、実際に野坂さんが体験したことをベースにした展開も存在。戦争の悲惨さをこれでもかと描いた映画ですが、事実の方が残酷だったという内容も……。

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◆妹に食事を十分与えず、粉ミルクまで飲んでいた

 映画では、14歳の兄・清太が、事あるごとに4歳の妹・節子のことを気にかけ、かいがいしく世話をする姿が描かれていますが、野坂少年と妹・恵子さんとの関係性はこれとはずいぶん異なるものでした。

 『朝日新聞第二部』1969227日号に掲載された「舞台再訪 私の小説から」によると、野坂少年は血のつながらない妹・恵子さんと福井県に疎開していましたが、家や家族を失い、精神的に追い詰められていたためか、妹の面倒を煩わしく感じることもあったそうです。

 1969年に出版された『野坂昭如エッセイ集1 日本土人の思想』(出版:中央公論社)などによれば、深刻な食糧難となり、妹には十分な食事を与えず、野坂少年だけが食事をとることもあったといいます。また、妹のために支給された粉ミルクまでも、空腹に耐えかねて飲んでしまったなど、生々しい体験談が残されています。

 最終的に、痩せ衰えて骨と皮だけになった恵子さんは、誰にも看取られることなく餓死するという痛ましい最期を迎えました。

 こうした経験から、平和だった時代の思い出を交えながら、妹・恵子さんへのせめてもの贖罪と鎮魂の思いを込めて『火垂るの墓』を書いた、と野坂さんは1980年に発売されたエッセイ『アドリブ自叙伝』(出版:筑摩書房)で語っています。

 ちなみに、「節子」という名は野坂さんの養母の実名であり、小学校1年生の時に一目ぼれした初恋の同級生の女の子の名前でもあったと、『アドリブ自叙伝』で明かされています。

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◆本当に妹の遺骨を「ドロップ缶」に詰めていた

 映画『火垂るの墓』の中でも、特に印象的なのが節子の大好きだった「缶入りドロップ」でしょう。作中で事あるごとに登場し、最後は節子の遺体を火葬して残った遺骨を、清太がドロップ缶に詰めるシーンは非常に印象的でした。

 アニメ絵本で、清太が節子の遺体を火葬する直前、「もう一度ドロップ舐めさせてあげたかった」と述懐していることや、アニメ映画で衰弱した節子が「またドロップ舐めたい」と願ったことから、視聴者の印象にも強く残っているシーンだと思います。

 いかにも映画的でフィクションのように思えるシーンですが、なんと実話であったことが明らかになっています。

 終戦間際の混乱の中で十分な食事を与えられないまま、1945822日に妹・恵子さんは、わずか16ヵ月で衰弱して命を落としてしまいます。

 1987年に出版された野坂さんの自伝的小説『行き暮れて雪』(出版:中央公論新社)によると、恵子さんの亡骸は当時墓地だった現在の旭公園(福井県江留上旭)で、野坂少年自ら火葬したことが明かされました。

 ところが、慣れない作業と燃料不足も重なり、十分な火力を得られず、わずかな骨しか残らなかったそうです。わずかに残ったその遺骨を、野坂少年は持っていたドロップ缶に詰めるしかなかったと語っています。

 節子がドロップを好きだったことは脚色ですが、実際にはわずか16ヶ月で命を落とした恵子さんの遺骨が、ドロップ缶に詰められるほどしか残らなかったことなど、当時の悲惨さが嫌というほど伝わってきます。

 朝日新聞1969227日号に掲載された『私の小説から 火垂るの墓』で、野坂さんは「小説“火垂るの墓”にでてくる兄ほどに、妹をかわいがってやればよかったと、今になって、その無残な骨と皮の死にざまを、くやむ気持が強く、小説中の清太に、その想いを託したのだ。」と、当時の自分に対する後悔の念を語っています。

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◆蚊帳の中で蛍を放ったのは真実だった

 映画『火垂るの墓』を語るうえで欠かせないのが、清太が節子と住みついた防空壕の蚊帳の中で、捕まえた蛍を放ったシーンでしょう。無数の蛍が放つ光は幻想的で、どこか儚さを感じさせました。

 また、蛍たちの死骸を掃除するシーンは、そんな幻想的なシーンから視聴者を一気に厳しい現実に引き戻しました。

 作品の象徴ともいえるこのシーンも、実話に基づいたものでした。

 1969年227日号の朝日新聞に掲載された『私の小説から 火垂るの墓』によると、野坂さんは「一年四ヶ月の妹の、母となり父のかわりつとめることは、ぼくにはできず、それはたしかに、蚊帳の中に蛍をはなち、他に何も心まぎらわせるもののない妹に、せめてもの思いやりだったし、泣けば、深夜におぶって表を歩き、夜風に当て、汗疹と、虱で妹の肌はまだらに色どられ、海で水浴させたこともある。」と語っています。

 両親に代わって、精一杯小さな妹・恵子さんの世話をしようとする責任感と、血のつながらない妹の食糧までも奪ってしまうほど余裕がなかった現実との間で、せめぎ合っていた野坂少年の苦悩がありありと感じられます。

 当時の自分への後悔と、清太のようにやさしい兄でいたかったという野坂さんの想いが託された映画『火垂るの墓』にとって、野坂さんが妹・恵子さんにしてあげられた数少ない慰めとなる「蛍を放つ」シーンは、きっと欠かせないものだったのでしょう。

 

 ──フィクションを交え、野坂さんの実体験をもとに作成された映画『火垂るの墓』ですが、事実は映画で描かれたよりさらに悲惨なものでした。 わずか16ヵ月で命を落とした野坂さんの妹・恵子さんにとって、映画『火垂るの墓』を語り継いでいくことが、私たち視聴者ができるせめてもの供養なのかもしれません。

〈文/lite4s

《lite4s》

Webライター。『まいじつ』でエンタメ記事、『Selectra(セレクトラ)』にてサスペンス映画、韓国映画などの紹介記事の執筆経験を経て、現在は1980~90年代の少年漫画黄金期のタイトルを中心に、名作からニッチ作品まで深く考察するライター業に専念。 ホラー、サスペンス映画鑑賞が趣味であり、感動ものよりバッドエンド作品を好む。ブロガー、個人投資家としても活動中。

 

※サムネイル画像:『「火垂るの墓」キービジュアル © 野坂昭如/新潮社, 1988』

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