武の頂点を極めた男、アイザック=ネテロ。もしネテロが、S級の盗賊集団・幻影旅団と対峙したら、彼の目にどう映るのでしょうか。キメラ=アントの王・メルエムにさえ「面白い」と感じさせた、ネテロの特殊な「武の物差し」。その厳しい目で見たとき、幻影旅団の中に彼をワクワクさせられるメンバーは、はたして存在するのか。彼の戦いに対する考え方から、幻影旅団の本当の実力を探ります。

◆感謝の正拳突きが生んだ“武の物差し”──ネテロが強者に求めるもの

 ネテロが持つ「武の物差し」とはどのようなものか。また、彼は相手の何を基準に「面白い」と感じるのでしょうか。

 答えは、キメラ=アントの王・メルエムとの死闘の中から見えてきます。ネテロは、人類の存亡をかけた戦いの末、自身の命と引き換えに薔薇(ミニチュアローズ)を起動させる直前、「メルエム──それがお主の名前だ」と王に名を教えました。

 これはたんなる時間稼ぎではなく、己を超えた強者への敬意、そして“個”としての存在を認めた証でもあると考えられます。この行動は、ネテロがたんなる力のぶつかり合いではなく、相手の覚悟や誇りといった“心”を見極め、武の相手としての価値を判断していたことを示しているといえるでしょう。

 「心」を見極める考え方は、彼の強さの原点につながっています。かつてネテロは、己の肉体と精神に感謝しながら、毎日一万回もの正拳突きを何十年も続けました。その結果、彼は神速の拳と、何ものにも揺るがない心を手にします。彼の強さは、武の道をひたすらに求める純粋な心から生まれているのです。だからこそ、彼が戦う相手に求めるのも、同じような「自分の道を極めようとする輝き」といえるでしょう。

 武の物差しがどれほど鋭いかは、王の護衛軍・ネフェルピトーを目撃した瞬間に証明されています。「あいつわしより強くねー?」。ネテロはネフェルピトーを一目見ただけで、その実力を正確に見抜いたのです。ネフェルピトーのオーラには、たんなるオーラの量ではなく、王を守るという「揺るぎない覚悟」が宿っていたのかもしれません。ネテロは、その純粋で絶対的な忠義の心を見抜き、強敵として認めたと考えられます。

 つまり、ネテロが「戦う価値あり」と判断する基準は、単純な戦闘力の高さだけではなく、自分のすべてを懸けて道を極めようとする「覚悟」を持っているか、そして常識から外れた「面白さ」を感じさせてくれるかどうか。この二つの条件が判断の基準だといえるでしょう。

◆誰がネテロの眼鏡に適うのか──「面白い」と評価される幻影旅団のメンバー

 ネテロが持つ「覚悟」と「面白さ」という物差し。この目で幻影旅団を見たとき、誰が彼の心を躍らせるのでしょうか。可能性を秘めた二人の男を深堀します。

 まず一人目は、団長のクロロ=ルシルフルです。

 彼の強さは、純粋な腕力ではなく、他者の念能力を盗み、それを自在に組み合わせて戦う「知略」にあります。

 ヒソカとの一戦では、複数の能力を周到に準備し、完璧な戦略で勝利しました。彼の戦い方は、ネテロのような正統派の武人には異質に映るでしょう。しかし、ネテロは型にはまらない「面白さ」を好むと考えます。どう戦うのかまったく読めないクロロの戦い方は、ネテロに「ほう、面白い」と思わせるだけの、知的な魅力と深みを持っているのではないでしょうか。

 そして二人目は、フェイタンです。

 キメラ=アントのザザン戦で、彼は追い詰められて切り札「許されざる者(ペインパッカー)」を放ちました。

 この能力は、自らが受けた傷を威力に変えるもので、常に死と隣り合わせの「覚悟」を必要とします。

 ネテロは、ネフェルピトーの忠誠心に「覚悟」を見出しました。それと同じように、フェイタンの歪んだ破壊衝動と命を懸ける覚悟に、ある種の「武の狂気」を感じ取り、興味を抱く可能性があるのではないでしょうか。

 クロロの「知略」、フェイタンの「覚悟と狂気」。二人の在り方は、ネテロが強者に求める「個の極致」や「面白さ」という基準を満たすかもしれません。それは、単純な戦闘力だけではない、彼らの生き様そのものが評価された結果といえるでしょう。

◆「組織の駒」か「個の武人」か──多くのメンバーが“論外”となる理由

 クロロやフェイタンがいる一方で、幻影旅団のほとんどのメンバーは、ネテロの「武の物差し」では評価の対象にすらならないと考えられます。

 まず、シャルナークやコルトピ、パクノダといった、戦闘以外の能力に優れたメンバーたち。彼らの能力は、「組織」として動くうえでは非常に強力です。しかし、ネテロが求めるのは「個」と「個」がぶつかり合う戦い。彼らの能力は、ネテロが立つ武の土俵では評価に値しないでしょう。

 では、ウボォーギンのような圧倒的なパワーを持つ戦闘員はどうでしょうか。彼の破壊力はトップクラスですが、ネテロの目には「戦う価値なし」と映るかもしれません。

 その理由は、彼の強さが純粋な「暴力」であり、その先に道を究めようとする「求道者の心」が見えないからです。ネテロからすれば、心を揺さぶる「面白さ」に欠け、「ただ強いだけの者」としか評価されないのではないでしょうか。これはノブナガやフィンクスなど、ほかの戦闘メンバーにもいえるかもしれません。

 ここから、幻影旅団の本当の強さが見えてきます。彼らの真の力は、個人の武力ではなく、多彩な能力を持つメンバーが「組織の駒」として機能することで生まれる「組織力」にあります。

 つまり、ネテロの武の物差しで測った場合、ほとんどのメンバーは評価の対象外となってしまいます。しかし、それはメンバーが弱いからではなく、彼らの強さの種類が、ネテロが求める「武」とはまったく異なる次元にあるからだといえるでしょう。

 

 ──ネテロをワクワクさせられるのは、クロロの知略やフェイタンの覚悟など、ごく一部のメンバーに限られるでしょう。しかし、それは幻影旅団が弱いからではなく、ネテロという絶対的な「個」の物差しを通すことで、彼らの真の強さが「組織力」にあると説明できます。この視点は、『HUNTER×HUNTER』が、強さの多様性を教えてくれているといってもいいかもしれません。

〈文/凪富駿〉

 

※サムネイル画像:Amazonより 『「HUNTER×HUNTER」第27巻(出版社:集英社)』

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