※この記事には『ジョジョの奇妙な冒険 Part7 スティール・ボール・ラン』のネタバレが含まれます。ご注意ください。
※本記事は『ジョジョの奇妙な冒険 Part7 スティール・ボール・ラン』に関するライター個人の考察・見解に基づくものであり、公式の設定や見解とは異なる場合があります。
遺体を巡る長い争奪戦に幕を引いたのは、ジョニィでもディエゴでもありませんでした。鍵を回したのは、ルーシー・スティール。誰もがそう疑わなかった、あの少女だったかもしれません。
彼女が物語の中で経験した「ある出来事」には、聖母マリアのモチーフと真の所有者としての資格が隠されていたとしたら──。
◆物理的な「施錠」の主体を特定──彼女だけが知る真実
物語の最終盤、マンハッタンの地下シェルターへ遺体が戻された際、物理的に誰が「施錠」を行ったのか。詳細に描写を追うと、そこには奇妙な空白が存在することに気づきます。
遺体を奪取したディエゴは、シェルターの鍵に触れようとした直後、背後にルーシーがいることに気づきます。ルーシーはジョニィが遺体を取り戻せなかったときに備えて、ディオを待ち構えていたのです。
襲いかかるディエゴに、ルーシーはとある包みを手渡しします。包の中身はディオの首。ヴァレンタイン大統領の能力の弱点である「同じ2つのものが出会えば消滅する」を利用し、列車での戦闘で命を落としたディオの頭部をディエゴ自身に引き合わせて消滅させました。このときディエゴが消失している場面では、シェルターのドアは開放されたまま描かれ、レースの終幕の様子と最終結果が描かれました。
つまりディエゴには、重厚な扉を閉め複雑な鍵を物理的に回して「施錠を完了させる」だけの猶予は残されていなかったといえます。彼が消滅した瞬間、鍵はまだ扉に差し込まれたまま、あるいは解放された状態であったと考えるのが自然でしょう。
しかし、その後のシーンで夫スティーブンが現場に到着したとき、シェルターの扉は「何者かによって」厳重に閉じられていました。スティーブンはこれを運命の采配として受け入れていますが、かたわらに立つルーシーだけは違いました。彼女はまるで鍵を回したときの確かな手応えを噛み締めるかのように、意味深な言葉を口にします。
「ええ……施錠されたわ……」。この言葉はたんなる事態の報告ではなく、彼女自身の意志によって「物語に鍵をかけた」という宣言である可能性が高いです。ディエゴが消滅した直後、静寂に包まれた地下室で、ルーシーは自らの手で鍵に触れ遺体を永久の眠りへと封じ込めたのではないでしょうか。スティーブンですら気づかなかったその数分間の真実こそが、彼女をたんなる被害者から世界の守護者へと変えた瞬間だったのかもしれません。
◆聖母マリアモチーフの活用──「遺体を産む」という受容の資格
作中においてルーシーが経験した変異は、生理的な嫌悪感を伴うホラー描写として描かれましたが、その本質は極めて宗教的なモチーフに基づいていると考えられます。
ファニー・ヴァレンタイン大統領から聖人の遺体の心臓部を奪おうとしたルーシーは、逆にヴァレンタイン大統領に追い詰められ、ある部屋に逃げ込みました。そしてその部屋にあった暖炉には遺体が隠されており、偶然それと映し出される茨の冠の頭部の幻影を見つけてしまいます。
その瞬間、目が眩むほどの光を浴び、背中に白い翼を生やしたまるで天使のような人型の何かに腕を掴まれ暖炉へと引き込まれます。その後ヴァレンタイン大統領がルーシーを見つけたときにはすでにルーシーは遺体と融合しており、最後の部位である頭部を胎内に宿して妊婦となっていました。
この彼女から遺体が誕生するという描写は、聖書における「処女懐胎」を暗示している可能性が高いです。
注目すべきは、他の追跡者たちと彼女の決定的な違いです。ジョニィやヴァレンタイン大統領、ディエゴにとって遺体は「手に入れるべきもの」であり、己の欲望や理想を叶えるための道具にすぎませんでした。
しかし、ルーシーだけは遺体を「自らの一部」として宿し、物理的にも精神的にも一体化する経験を強いられていました。いわば彼女は遺体を「所有」したのではなく、遺体の存在そのものを「受容」したといえるでしょう。
この遺体を「宿した」という事実は、彼女に「聖母」としての絶対的な所有の正当性を与えていると考えられます。略奪者たちが血眼になって追い求めた「聖なるもの」。文字通り血を分け合ったルーシーだからこそ、その力に対する深い共鳴とそれを正しく扱う資格が備わっていたのではないでしょうか。
遺体にとってルーシーは自分を奪い合う醜い欲望の器ではなく、この世に形を成すために寄り添った唯一の「依り代」といえます。だからこそ、物語の結末において彼女が遺体を元の静寂へと返す役割を担うのは必然であったといえるでしょう。
自ら産み落としたものを、今度は自らの指先で封印する。その「産みの母」としての責任と権利こそが、彼女を真の所有者へと導いたのかもしれません。
◆「動と静」の対称性──戦士が切り拓き、聖母が閉じた物語
『スティール・ボール・ラン』という長大な物語を俯瞰したとき、ジョニィとルーシーの行動は、見事なまでの「動」と「静」の対称性を成していることが見えてきます。
ジョニィの戦いは、どこまでも「個人の再起」を目指す強烈な「動」のエネルギーでした。彼が宿した「漆黒の意思」は、停滞した運命を力ずくでこじ開け、不可能を可能にするために不可欠な破壊の力といえます。
しかしどれほど強力な力であっても、それが「奪い合うための力」である以上、その連鎖を自ら終わらせることは構造的に不可能である可能性があります。ジョニィがそのまま遺体を手にし続けていれば、それは再び新たな争奪戦の火種となり、執着の呪縛が永遠に解けることはなかったと考えられるでしょう。
そこで物語の完結に必要となったのが、ルーシーによる「静」の封印という役割なのではないでしょうか。彼女の行動は誰かを屈服させるためではなく、遺体を「誰のものでもない神聖な状態」へと戻し、世界の均衡を再び取り戻すためのものでした。
略奪者たちが遺体を欲望の光の下へ引きずり出そうとしたのに対し、彼女は遺体を人知の及ばぬ暗闇へと封印しました。この血塗られた略奪の連鎖に終止符を打つには、戦士の武力ではなく、遺体と共鳴しその計り知れない重みを身をもって受け入れた「聖母」による自発的な幕引きが必要不可欠だったのかもしれません。
ジョニィが「マイナスをゼロにする」ために道を切り拓き、その道の終着点においてルーシーが静かに「鍵」をかけた。
この二人の役割がそろって初めて、遺体は80年という長い眠りにつく安らぎを得られたといえます。資格なき略奪者を物理的に排除し、資格ある守護者が世界の門を閉ざす。この「開門」と「閉門」の対称性こそが、凄惨な争奪戦を一つの完成された「神話」へと昇華させた正体といえるでしょう。
──ラストシーンで自らの指先を見つめたルーシー・スティール。その瞳には、過酷な受難を乗り越え世界の運命を「施錠」した者の強さが宿っていました。
ジョニィの「漆黒の意志」が運命を切り拓く矛であったなら、ルーシーの「聖母としての受容」は、遺体を欲望の渦から隠蔽する盾といえます。彼女が自らの手でシェルターを閉ざしたとすれば、それはエゴや大義を超えた場所へ聖なるものを正しく「還した」ことを意味するといえるでしょう。
もっとも非力だったはずの少女が、もっとも巨大な力を地下へ葬り世界に「80年の安らぎ」を与えた。その静かな施錠の手応えこそが、この物語を真の完結へと導いた「奇跡の正体」だったのではないでしょうか。
〈文/凪富駿〉
《凪富駿》
アニメ・漫画に関するWebメディアを中心に、フリーライターとして活動中。特にジャンプアニメに関する考察記事の執筆を得意とする。作品とファンをつなぐ架け橋となるような記事の作成がモットー。
※サムネイル画像:Amazonより 『「STEEL BALL RUN スティール・ボール・ラン」第22巻(出版社:集英社)』


