<この記事にはTVアニメ・原作漫画『鬼滅の刃』ならびに『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』のネタバレが登場します。ご注意ください。>
日本映画史に残るであろう記録を打ち立て続けている『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』。本作は、最終局面に相応しく鬼たちの根城「無限城」を舞台に描かれています。そんな無限城で待ち構える鬼・童磨、獪岳、そして猗窩座には、本編終了後にも明かされなかった謎があります。
◆童磨──なぜ人間時代の堕姫と妓夫太郎を救ったのか?
第96話で、人間時代の堕姫と妓夫太郎の窮地を救った人物が当時“上弦の陸”だった童磨でした。人間を食糧くらいにしか見ていなかった童磨が妓夫太郎たちを助けた理由は大きく3つ考えられます。
まず1つは、「万世極楽教」の教祖としての「救済」です。童磨は人間の感情を理解することができず、また共感性も持ち合わせていません。しかし、教祖として「愚かな人間たちを救いたい」という使命感だけは本物でした。それゆえに、童磨は鬼になってからも教祖を続けています。つまり、「救済」の一環として妓夫太郎たちを助けた可能性が考えられます。
そして2つ目の理由は、シンプルに鬼舞辻無惨のためです。童磨は、無惨との出会いに感動して以降、「万世極楽教」の神として無惨を崇拝していたことが『鬼滅の刃公式ファンブック 鬼殺隊見聞録・弐』(出版社:集英社)で明かされています。他者に対して一切の執着がなかった童磨ですが、無惨に対しての忠誠心だけは本物だったのです。そんな無惨のことを思って童磨なりに見どころがある人間を助けては鬼にしていたのかもしれません。
最後に3つ目の理由は、人間を演じていた際の気まぐれです。作中の描写からも分かる通り、童磨が外見上誰に対しても優しくみえるのは、彼の高い知性で人間の感情を模倣し演技していたからです。
実際、公式ファンブックでも、「どういう感覚なのか人間の欲望に興味があった」と書かれています。たまたま当時模倣していたのが、人を助けたいという性格だった可能性は十分に考えられます。そうなると妓夫太郎たちは、まさに童磨の気まぐれで救われたことになります。
◆獪岳──なぜ壱ノ型「霹靂一閃」を習得できなかったのか?
獪岳は性格的にかなり難があったものの、剣士としては我妻善逸も認める才能の持ち主だったうえ、真面目で努力家でした。そんな獪岳が壱ノ型「霹靂一閃」を習得できなかった理由は大きく2つ考えられます。
まず1つは、「霹靂一閃」が雷の呼吸のすべての型の「基本」だったからです。獪岳は第144話で明かされた通り、「自分の才能を正しく評価する者は善」という価値観を持っていました。しかし、裏を返せば獪岳は自己評価を他人に委ねており、それゆえに何か失敗した際も他人のせいにしていたのです。まさにこの点は、第145話で善逸も「どんな時もアンタからは不満の音が聞こえていた」と指摘していました。
獪岳のやっていることは、一見すると他者を信用しているようで、自分本位に他者に価値観を押し付ける独りよがりにほかなりません。つまり、獪岳は人との関わり合いの中で基本的な部分、相手を信用することができていないのです。この「基本」ができていないというメタファーもあり、獪岳は雷の呼吸の基本である「霹靂一閃」を習得できなかったのではないでしょうか?
そして2つ目の理由は、性格的な適性です。善逸はヘタレで臆病者ですが、性根は優しく善良なお人よしです。たとえ相手が嫌っている獪岳でも、きちんと彼の良い面を認め素直に尊敬することができるのです。
一方で、真面目で才能のある獪岳ですが、前述の通り自分よがりな性格をしています。そんな獪岳は善逸を見下しており、最後まで善逸を認めることはありませんでした。もしかしたら、見下していた善逸が壱ノ型を極めてしまったことで、プライドが邪魔して壱ノ型の修行をやめてしまったことも十分に考えられるでしょう。
さらに、獪岳はどこまでも技の数や見栄えにこだわっていたことがうかがえます。実際、善逸との戦闘でも見せびらかすように多くの技を出しています。そして第145話で善逸が見せた漆ノ型「火雷神」を見たときには、激しい嫉妬心を露わにしていました。
獪岳は、善逸ができた「基本」の型に興味を失い、それ以外の型を覚えることで、精神的に優位に立とうとしたのかもしれません。つまり、性格的な適性から「霹靂一閃」を覚えることはできなかったと考えられるのです。
◆猗窩座──50年前に戦った水柱とは誰なのか?
第148話で冨岡義勇と対峙した猗窩座が、水柱と遭遇したのは50年ぶりだと言っています。50年前の水柱といえば、まずピンとくる人物が炭治郎を育てた鱗滝左近次でしょう。
鱗滝といえば、第46話の柱合会議の手紙で「元柱」であったことが明かされています。さらに、第7話で登場した手鬼を捕まえた47年前の時点で鱗滝は既に水柱であったと考えられます。
しかし、猗窩座は以前戦った水柱の命を奪っているとも語っているのです。この「以前」というのが50年前なのか、それとももっと昔をさすのか定かではありません。しかし、前後の会話を素直に捉えれば、50年前の水柱の命を奪っている可能性が非常に高いでしょう。
そうなると、猗窩座が戦った相手は現在も健在である鱗滝ではないことになります。つまり、年代的に鱗滝よりも先代の水柱であると考えられるのです。そして、猗窩座と戦った水柱は作中のケースになぞらえると、鱗滝の同期の仲間、もしくは師匠的な立ち位置の人間であると考えられます。
水の呼吸の使い手は、鱗滝→義勇→炭治郎と受け継がれています。そう考えると鱗滝の師匠であった可能性が一番高いのかもしれません。
──『鬼滅の刃』では、敵役にもバックボーンがあり、それぞれの個性がしっかりと描かれています。それでいて、主人公たちにとって分かりやすく「悪」であることが、登場するキャラクターたちにメリハリをきかせています。こういった鬼たちが出てくるのも、この作品の魅力の一つなのかもしれません。
〈文/fuku_yoshi〉
※サムネイル画像:『「劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来」第3弾キービジュアル (C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable』
※鬼舞辻の「辻」は「一点しんにょう」が正しい表記となります。