<この記事にはアニメ・原作漫画『鬼滅の刃』のネタバレが登場します。ご注意ください。>
無限城に突入する前夜……、鬼の首魁・鬼舞辻無惨と鬼殺隊の当主・産屋敷耀哉は同じ一族だったという出自が明かされます。しかし、鬼となり悪事を重ね続ける無惨は目立った「報い」を受けることはなく、なぜか産屋敷の一族だけが「呪い」を受けているのです。
◆産屋敷と無惨の認識の違い
第137話で産屋敷耀哉は、産屋敷一族から無惨という鬼を出したことによって呪われてしまったと語っています。産屋敷家がかかったとされる「呪い」は、生まれつき病弱で徐々に肉体を蝕まれ、確実に短命で終わるものです。代々神職の家系から嫁をもらうことで、どうにか呪いを和らげても30歳まで生きられないといいます。
さらに『鬼滅の刃公式ファンブック 鬼殺隊見聞録・弐』(出版社:集英社 2021年2月出版)によると、この呪いは短命であること以外に、男子ばかりを授かるようになったうえ、男子が兄弟だった場合は1人を除き必ず全員が命を落としてしまうと書かれています。ちなみに、女子が生まれた場合、13歳までに結婚して苗字を変えなければ、どんなに気をつけていても病気または事故に遭ったというのです。
確かにこれをたんなる偶然と片付けるにはあまりにも不自然すぎる悲劇だといえます。そんな産屋敷家は神主の助言により、一族から出した鬼を倒すことで一族は絶えなくなると神託を得たのです。つまり、産屋敷は一族から鬼を出した代償として一族全員が「呪い」を受けたと考えていることが分かります。
一方で無惨は、産屋敷家の「呪い」と自分には何の因果関係もないと認識しています。その証拠として、何百何千という人間の命を奪っていても私は許されていると語っており、「私には何の天罰も下っていない」「この千年、神も仏も見たことがない」とも豪語しているのです。
つまり、無惨からすれば産屋敷家の人間が代々短命なのは、もともと病弱で単純に身体が弱い一族だからだと考えており「自分の責任ではない」と思っているのが透けて見えます。実は客観的に見れば、無惨の考え方には一理あるのです。なぜなら、無惨もまた生まれつき虚弱体質で、善良な医者の治療がなければ20歳までに命を落とすと言われていたからです。
◆産屋敷家の呪いの正体とは?
産屋敷と無惨、どちらの考えが正しいのかというと作品の「答え」としては産屋敷の考えが当たっていたことになります。しかし、そうなるとなぜ天罰という「呪い」は無惨本人ではなく、産屋敷家だけに下ってしまったのか疑問が残ります。
その理由は大きく3つ考えられます。まず1つは、無惨が天罰が下るほどのことをしていないと捉えられることです。もともと無惨は善良な医者によって鬼となりました。病弱な体質を改善し「生きたい」と思う気持ちは誰にでも共感できることでしょう。つまり、その解決策として鬼にされたのはある意味不本意であり、「なりたくてなったわけではない」とも解釈できるのです。
しかし、これは大きな矛盾点を含んでいます。なぜなら、そうであれば産屋敷家も呪いを受ける必然性がなくなるからです。何より、最初の動機はそうであっても、無惨はその後、他者の命を奪うことにためらいがなく、まさに悪さを繰り返しています。
そこで2つ目に考えられるのが、無惨に「寿命」という概念がなくなってしまったからです。そもそも「呪い」は一族全員が短命に終わること……。しかし、無惨は鬼化したことである意味で寿命という概念から解き放たれています。つまり、代わりに寿命を支払う呪いを一族が肩代わりしているとも考えられるのです。
最後に3つ目は、「業(カルマ)」という考え方です。「輪廻転生」が登場していることからも分かるように、作中においては仏教的な考え方が根幹を担っています。仏教においての輪廻転生は、生前における「行い」の結果としてその後どういう生まれ変わるのかが決まることを意味します。
そしてこの「生前の行い」というのがいわゆる「カルマ」なのです。カルマは本来、自分の「行い」の結果であり、基本的には自分自身が背負うものだとされています。しかし、特に大乗仏教では先祖のカルマが子孫に影響するという考え方もあるとされています。
実際、日本のことわざにも「親の因果が子に報う」というものがあります。これは文字通り親の犯した悪行の結果が、何の罪科もない子孫に及んで災いすることを意味します。まさに、無惨と産屋敷家の関係を表す「呪い」の正体に相応しい考えではないでしょうか?
◆実は無惨にも天罰が下っていた可能性
先ほどの仮説と異なりますが、実は無惨にも天罰が下っていた可能性は十分に考えられます。たとえば、短命で終わる呪いが無惨にもかかっていたとします。しかし、先ほど触れた通り無惨は寿命を超越しているので、もしかしたら短命の呪いがかかっていても効果がなかったのかもしれません。
その代わりに受けていた「呪い」が、日の下を歩けない身体という天罰だとも考えられます。さらに、鬼殺隊に常に命をねらわれ続ける人生もかなり過酷な人生です。考え方によればこれこそが罰だとも捉えられるでしょう。
しかし、日の下を歩けないのは善良な医者の命を自ら奪ってしまったことが原因ですし、鬼殺隊に命をねらわれ続けるのはそもそも無惨が隊士の家族を手にかけたからです。つまり、すべて自業自得なのです。
そう考えると、やはり「天罰」は無惨に下らず、産屋敷一族が代わりに「呪い」という形で背負ってきたと捉えるのが自然でしょう。
──このほかにも産屋敷と無惨の考え方は多くの場面で対比構造となっています。たとえば、2人はそれぞれの仲間である甘露寺蜜璃と累に「強さを誇れ」という同じ言葉を投げかけています。前者は「周りを気にせず、自分に自信を持て」という意味で、後者は「弱い周りが悪いだけだ」という意味で……。結果、甘露寺は仲間のために強く、累は支配するために強くなります。同じ事柄でも考え方によって生き方が変わるという描写は、現実世界で生きる上でも参考になるかもしれません。
〈文/fuku_yoshi〉
《fuku_yoshi》
出版社2社で10年勤め上げた元編集者。男性向けライフスタイル誌やムックを中心に、漫画編集者としても経験を積む。その後独立しフリーライターに。現在は、映画やアニメといったサブカルチャーを中心に記事を執筆する。YouTubeなどの動画投稿サイトで漫画やアニメを扱うチャンネルのシナリオ作成にも協力し、20本以上の再生回数100万回超えの動画作りに貢献。漫画考察の記事では、元編集者の視点を交えながら論理的な繋がりで考察するのが強み。最近では、趣味で小説にも挑戦中。X(旧Twitter)⇒@fukuyoshi5
※サムネイル画像:Amazonより 『「鬼滅の刃」第22巻(出版社:集英社)』
※鬼舞辻の「辻」は「一点しんにょう」が正しい表記となります。