※この記事にはアニメ・原作漫画『鬼滅の刃』のネタバレが含まれます。ご注意ください。
炭治郎が鬼の手を握る名場面は、世に出る前に削られる可能性がありました。『鬼滅の刃』には、連載前の段階で形を変えた設定や演出がいくつもあります。2020年2月5日に『livedoorNews』で配信された初代担当編集・片山氏へのインタビューをもとに、作品の印象を決定づけた3つの初期設定を振り返ります。
◆カット寸前だった炭治郎の名場面 “鬼に手を差し伸べる主人公”はこうして残った
炭治郎を語るうえで外せないのが、鬼に対しても哀れみを向ける優しさです。鬼を斬ったあと、消えていく鬼の手をそっと握り、「神様どうかこの人が今度生まれてくるときは鬼になんてなりませんように」と願う場面は、彼の人物像を強く印象づけました。
ところが、この演出は当初、削られる可能性があったといいます。2020年2月5日に『livedoorNews』で配信された、初代担当編集・片山氏へのインタビューによれば、吾峠呼世晴先生は原稿を書き上げたあとで「少年誌らしくないから削除しようかな」と考えていたそうです。
その判断を変えるきっかけになったのが、片山氏の反応でした。片山氏はこの場面に強く心を動かされ、「ここだけは絶対に入れるべきだ。こんな主人公は見たことがない」という趣旨で熱弁したと語られています。
炭治郎は、ただ鬼を倒すだけの主人公ではありません。相手が鬼であっても、かつて人間だった存在として向き合う。その姿勢こそ、作品全体の温度を決める大きな要素になりました。もしこの場面が削られていたら、炭治郎の印象も『鬼滅の刃』の読後感も、少し違ったものになっていたかもしれません。
同インタビューでは、吾峠先生が自身の信念を通す一方で、編集側の意見を柔軟に受け入れることもあったと語られています。あの手を握る場面は、作者の感性と編集者の判断がかみ合ったからこそ残った、重要な演出だったといえるでしょう。
◆冨岡義勇の隊服も最初は違った? “大正感”から生まれた鬼殺隊の姿
『鬼滅の刃』のビジュアルで印象に残るものの一つが、鬼殺隊の隊服です。詰め襟の上に羽織を重ねた独特の姿は、和風でありながら近代的でもあり、作品世界を一目で伝える要素になっています。
しかし、物語の序盤で炭治郎の前に現れる冨岡義勇の衣装は、初期設定では現在とは異なるものでした。『livedoorNews』の片山氏へのインタビューによると、連載ネームの段階で義勇は着物姿だったそうです。
それを見た片山氏が「もうちょっと大正感が欲しいですね」と伝えたところ、次に吾峠先生が描いたのが、詰め襟に羽織を合わせた現在の鬼殺隊らしいコスチュームでした。片山氏はその姿にオリジナリティーを感じ、結果として『鬼滅の刃』を代表する隊服のイメージが固まっていったといいます。
着物だけなら時代劇寄りに見え、詰め襟だけなら軍服風に寄りすぎるかもしれません。両方の要素を組み合わせた鬼殺隊の隊服は、幕末から大正へと続く新旧文化の混在を感じさせます。
この衣装の変更は、たんなるデザイン調整ではありません。鬼と戦う剣士たちの古さと新しさ、和の雰囲気と近代性を同時に見せる役割を果たしています。『鬼滅の刃』らしさは、物語だけでなく衣装の段階でも丁寧に作られていたことが分かります。
◆鱗滝左近次は普通の老人だった? 天狗の面が生んだ忘れがたい存在感
鱗滝左近次といえば、天狗の面を思い浮かべる人が多いでしょう。鬼殺隊の元・水柱であり、炭治郎を鍛えた育手でもある彼は、作中で一度も素顔を見せないまま、強い存在感を残しました。
ところが、初期設定では鱗滝は「ただのおじいさん」として描かれていたそうです。片山氏は『livedoorNews』のインタビューで、その初期案を見て「インパクトがない」と吾峠先生に伝えたところ、原稿ではお面をつけた姿になっていたと振り返っています。
天狗の面になった理由は、吾峠先生がインパクトを出すための別案を思いつかず、「とりあえずお面をつけてみた」というものだったと語られています。偶然に近い発想から生まれた要素でありながら、結果的には鱗滝を象徴する最大の特徴になりました。
素顔を見せないことで、鱗滝には厳格さや謎めいた雰囲気が加わりました。一方で、弟子たちへ厄除の面を作る優しさもあり、天狗の面は怖さと温かさの両方を感じさせる記号になっています。
同インタビューでは、鱗滝左近次の素顔を知っているのは吾峠先生を除けば“片山氏だけ”とも語られています。読者が見ている鱗滝は、あの面を含めて完成されたキャラクターです。初期設定からの小さな変更が、キャラクターの記憶への残り方を大きく変えた好例といえるでしょう。
──連載漫画では、初期設定や演出が変わることは珍しくありません。しかし『鬼滅の刃』の場合、その変更の一つひとつが作品の印象を大きく左右していました。炭治郎が鬼の手を握る場面、鬼殺隊の隊服、鱗滝左近次の天狗の面。どれも、今では作品を語るうえで欠かせない要素です。
原作の魅力はもちろん、何を残し、何を変えるかという判断の積み重ねもまた、『鬼滅の刃』を多くの読者に届く作品へ押し上げた理由の一つだったのかもしれません。初期設定の変化を知ると、見慣れた名場面やキャラクターの姿も、少し違って見えてきます。
〈文/士隠カンナ〉
《士隠カンナ》
アニメ・漫画関連のムック本を中心に活動するフリー編集・ライター。1990年代〜2000年代のアニメ作品を原点に、近年の話題作から長年愛される名作まで、幅広い作品の解説・考察・キャラクター分析を手がけている。作品の魅力や背景を読者にわかりやすく伝える記事制作を得意とする。
※サムネイル画像:Amazonより 『「鬼滅の刃」第1巻(出版社:集英社)』

