今年で歌手デビュー20周年を迎える声優の水樹奈々さん。2011年に出版された初の自叙伝『深愛 (しんあい) 』(出版社:幻冬舎 )などで、幼い頃からの猛特訓や壮絶な下積み時代、プライベートで非常識とも思えるお願いをされた経験などを語っています。

◆もともとは演歌歌手志望だった?──高熱でも歌い続けた結果

 水樹さんは日本商工会議所が運営するWebサイト『日商Assist Biz』に20167月に掲載された「あの人を訪ねたい 水樹奈々」というインタビュー記事で、5歳から歌い始めたことや、もともとは「演歌歌手」志望だったことを明かしています。

 歌手志望だった父親の力の入れようはすさまじく、「試験があっても、体調が悪くてもお構いなし」「毎日、父独自の歌のトレーニングがありました」「門限は夕方5時で、友だちと遊ぶ時間もありませんでした」と、歌に関して厳しいしつけや指導があったといいます。

 しかし、水樹さんは「全てが演歌歌手になるための生活でした」「衣食住と同じように歌があって、歌うことは自分が自分でいる証し」「私の細胞に染み込んで、切っても切れないものになっていきました」と語り、父親の特訓に感謝している様子です。

 ちなみに、水樹さんの美しい文字も、「書道教室に通っていたのですが、これも将来サインを書くときに恥ずかしくないように」と父親が習わせた賜物。娘のためにそこまで考えていた父親の行動力には脱帽です。

◆芸能コースのある学校で皆勤賞!?──草彅剛さん以来の快挙も遂げる

 水樹さんは2015年放送のフジテレビのバラエティー番組『ボクらの時代』に出演し、1995年より地元・愛媛県から上京して堀越高等学校芸能活動コース(現、トレイトコース)に入学したことを明かしました。

 当時、水樹さんにはほとんど仕事がなく、仕事で学校を休むことの多い売れっ子の同級生たちとは違い、皆勤賞だったそうです。

 あるとき、教師の「芸能コースの生徒たちは仕事で忙しいからという理由で学業を軽んじていることが多い」という言葉を耳にし、勉学にも力を入れた水樹さん。一時は学年トップの成績を収めたこともありました。

 その結果、高校卒業時は学業優秀・品行方正の卒業生10人に贈られる「堀越賞」を受賞できたと自叙伝にも綴っています。

 この賞は全コースの生徒が対象で、トレイトコースからは俳優の草彅剛さん以来、2人目の受賞だったとのことです。

◆堂本剛さんはクラスメイトだった!?──テレビで水樹さんを観た堂本さんは

 2012年、水樹さんはフジテレビの音楽バラエティー番組『新堂本兄弟』に出演し、アイドルデュオ・KinKi Kidsの堂本剛さんと高校時代のクラスメイトであることを明かしました。

 番組で14年ぶりの再会を果たした二人ですが、堂本さんはテレビ番組などで水樹さんを見かけても、「似ているけど違う」と別人だと思っていたとのこと。

 水樹さんが芸名を使っていたため、高校時代に呼んでいた「近藤さん」と結びつかなかったといいます。

 堂本さんは、2020年に水樹さんが音楽関係者の男性と入籍したときにも、ラジオ番組『KinKi Kids どんなもんヤ!』で祝福し、「(仕事で)ご一緒する際に、第一声は「近藤さん!」って言いたいですよね。「私、一応結婚したんだから~!」みたいな。そういうしっちゃかめっちゃかがあるのかな? やっぱりこれからも、近藤さんと呼ばせていただきたいなと思います」とコメントしました。

◆父親の葬儀の日にサインを書かされる!?──頼まれた水樹さんは

 水樹さんの父親は2008年、76歳でこの世を去っています。

 自叙伝で父親への愛や感謝を綴っている水樹さんのもとには、関係各社からたくさんの花が届けられたそうです。

 その花を見て落ち込んでいた母親の表情も明るくなったとのことですが、かえってそれが水樹さんの人気を裏付け、葬儀にもかかわらず、参列者から続々とサインを頼まれることになったといいます。

 これには水樹さんも戸惑いましたが、「「こんなときにサイン!?」正直、そう思わないでもなかったが、断れば父がきっと怒る」「だから一枚、一枚、心を込めて自分の名前を書いた」と、当時の心境について明かしました。

 非常識とも思える状況でしたが、水樹さんは「プロ」として対応。彼女の強い意志が垣間見えるエピソードです。

〈文/花束ひよこ〉

 

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