※この記事にはTVアニメ・原作漫画『NARUTO -ナルト-』のネタバレが登場します。ご注意ください。
※本記事は漫画『NARUTO -ナルト-』に関するライター個人の考察・見解に基づくものであり、公式の設定や見解とは異なる場合があります。
長年謎だった、はたけカカシの素顔は、口元に艶ぼくろを持つ端正な顔立ちでした。しかし、なぜ彼はこの顔を隠し続けていたのでしょうか。その理由は、たんなる演出ではないのかもしれません。
カカシと、英雄と呼ばれた父サクモの「瓜二つの容姿」。そして父の「悲劇的な最期」。この二つの事実をつなぐとき、彼のマスクが里への深い配慮から生まれた「優しさの仮面」だったという、もう一つの切ない真実が見えくるかもしれません。
◆「木ノ葉の白い牙」との酷似──チヨバアが見た“英雄の亡霊”
カカシはなぜマスクで素顔を隠すのか。その謎を解くためのもっとも重要な事実が、物語の序盤で描かれています。それは、彼が父親「はたけサクモ」と瓜二つであるということです。
第二部の冒頭、我愛羅を救出するため砂隠れの里を訪れたカカシたち。そこで彼らを待ち受けていたのが、相談役のチヨバアでした。
彼女はカカシを見るやいなや、表情を憎悪に歪ませ「木ノ葉の白い牙め〜!」と吐き捨て、問答無用で襲いかかりました。「木ノ葉の白い牙」とは、かつて彼女の息子夫婦の命を奪った宿敵、はたけサクモの異名です。
この場面が示すのは、カカシと父サクモの容姿が、年月が経っても第三者が見れば一瞬で混同するほど似ているという、動かしようのない事実です。
親子ですから顔が似ているのは当然かもしれません。しかし問題なのは、その「サクモの顔」が、彼を知る世代にとってたんなる懐かしい顔ではなく、強烈な感情を呼び起こす引き金になってしまうという点です。
チヨバアにとっては、それは「憎悪」の記憶だといえます。そしてこのことは、木ノ葉隠れの里の中でも、同じように起こり得たのではないでしょうか。
サクモの悲劇的な最期を知る三代目火影や上層部の人々。彼らがカカシの素顔を見るたびに、あの後味の悪い事件を思い出してしまう。あるいは、かつてサクモを非難した者たちが、気まずさを感じてしまう。
つまり、カカシの素顔は、彼が思う以上に「サクモの息子」という事実を周囲に強く思い出させるものだったと考えられます。彼の顔は、良くも悪くもかつての英雄の“亡霊”を人々の心に呼び覚ます、特別な意味を持っていたのかもしれません。
◆英雄の悲劇的な死──木ノ葉が忘れたい“後味の悪い記憶”
カカシの素顔が父サクモの“亡霊”を呼び覚ますのなら、なぜその亡霊は人々の心をざわつかせるのでしょうか。答えは、英雄サクモがたどった悲劇的な最期にあるのかもしれません。
その過去は、カカシ自身の口からサスケに語られました。かつて、サクモは任務中に「掟」を破り、仲間の救出を優先しました。しかし結果として任務は失敗。彼を待っていたのは、助けた仲間や里の者たちからの残酷な非難の言葉でした。英雄はたった一度の失敗で里の者たちから手のひらを返されてしまいます。そして深く傷ついたサクモは、やがて命を落としてしまいます。
この出来事は、木ノ葉にとって決して誇れる歴史ではないといえます。むしろ、里の英雄を里の人間が集団で追い詰めたという、忘れたい“後味の悪い記憶”といえるでしょう。
そして、この悲劇を誰よりも間近で見ていたのが、幼いカカシでした。その後、彼は「掟やルールこそが絶対だ」と頑なに信じるようになります。それは、仲間を想う父の優しさを「間違いだった」と思い込むことで、父を非難した里を正当化しようとした、少年なりの悲しい心の叫びだったのかもしれません。
このつらい経験は、カカシに「自分の存在が、周りにどう影響するか」を、人一倍敏感に考えさせるきっかけになった可能性が高いです。
つまり、サクモの死は木ノ葉にとって一種の「タブー」だったと考えられます。そしてその悲劇を背負うカカシは、父と同じ顔を持つ自分の素顔がその「タブー」に触れ、里に波風を立てることを、誰よりも恐れていたのではないでしょうか。
◆マスクは“優しさの仮面”──自己犠牲の精神が生んだ悲しい配慮
父サクモの悲劇と、悲劇が里に残した“後味の悪い記憶”。そして、その父と瓜二つの容姿。この二つの事実を背負ったカカシは、なぜ顔を隠す選択をしたのでしょうか。その答えは、彼の行動の根底にある深い「自己犠牲の精神」にあるのかもしれません。
カカシは、常に自分よりも他者を優先する人間です。仲間を守るためなら、自らの命さえためらいません。その性格を象徴するのが、彼の「遅刻癖」の本当の理由です。
彼がいつも遅れてくるのは、戦死した親友オビトの名が刻まれた慰霊碑に、毎日必ず立ち寄っていたからでした。この行動は、彼が常に過去の悲劇を忘れず、亡き仲間への想いを背負い続けていることの証拠といえます。
他人の痛みを自分のことのように感じ、過去を背負い続ける。そんな彼だからこそ、「自分の素顔が周囲に与える影響」に、人一倍敏感だったのではないでしょうか。
ここから、カカシがマスクをし続けた二つの理由が見えてきます。一つは、サクモを知る世代への配慮です。三代目火影や里の上層部が、自分の顔を見るたびに辛い記憶を思い出さないように、という優しさだったのかもしれません。
そしてもう一つは、自分自身を守る“鎧”としての役割です。父と同じ顔を晒すことで同情されたり、逆に心ない言葉を浴びせられたりする。そんな可能性から自分を守るための仮面でもあったのではないでしょうか。
つまり、カカシのマスクはたんなるキャラクターデザインではないといえます。それは、他人への配慮と自分を守るためという、彼の自己犠牲的で優しい本質から生まれた「悲しい仮面」だった可能性が高いです。彼が隠してまで守りたかったのは、里の穏やかな日常と、父から受け継いだ重い過去だったのかもしれません。
──長年謎だった、カカシのマスク。その下に隠されていたのは、端正な顔立ちだけではありません。父サクモと瓜二つの容姿が、里の悲しい記憶を呼び起こすことを避けるため。それが、彼が顔を隠した本当の理由だったのではないでしょうか。
彼のマスクは、ミステリアスな演出ではなく、他者への配慮と自己防衛から生まれた「優しさの仮面」だったといえます。素顔が明かされた今、彼の隠された魅力だけでなく、その仮面の下にある彼の深い孤独と優しさにも、思いを馳せることができるのかもしれません。
〈文/凪富駿〉
《凪富駿》
アニメ・漫画に関するWebメディアを中心に、フリーライターとして活動中。特にジャンプアニメに関する考察記事の執筆を得意とする。作品とファンをつなぐ架け橋となるような記事の作成がモットー。
※サムネイル画像:Amazonより 『「NARUTO -ナルト-」 第46巻(出版社:集英社)』





