インターハイ出場に一歩及ばず苦渋を舐めた陵南高校バスケットボール部の田岡茂一監督。しかし、結果とは裏腹に彼は監督として非常に優れており、名将と呼ぶにふさわしい理由がいくつもあります。
◆田岡の「ツンデレ指導」なくして魚住の成長はなかった!
田岡監督のエピソードで印象的なのは、魚住が1年の時の回想シーンでしょう。
高校生屈指の高身長を誇る魚住に並々ならぬ期待を寄せていた田岡監督は、練習メニューに付いてこられない魚住に「ゆっくりでもいい!! 自分の力でやり遂げろ!!」と、池上が手を貸すことすら許しませんでした。
この厳しさに耐えかねた魚住は退部を申し出ており、一見誤った指導に感じますが、結果としてこれは間違いではありませんでした。
1年にしてレギュラーを勝ち取った魚住は、湘北との試合で赤木とマッチアップし完全に抑え込まれ、筋力不足を痛感。自らフットワークを増やすなど、厳しい練習メニューが彼にとって非常に重要だったことが証明されています。
全国大会出場を見据え、魚住には恵まれた身長を活かすために厳しい練習メニューが必要だったことと、精神面で弱い部分がある魚住には、限界ギリギリのメニューを乗り越えるという「成功体験」こそ必要であることを田岡監督は見抜いていたのかもしれません。
そして、何より重要だったのは魚住に語った、全国大会出場という「夢」です。監督が自分に大きな期待をしてくれているという心の支えこそ、魚住が3年まで厳しい練習に耐えてこられた理由の一つであることは間違いないでしょう。
◆海南戦の瀬戸際で「福田の助言」を聞き入れたのは神がかった判断!
個性豊かな監督陣の中、試合においてもひときわ情熱的な指導が印象的な田岡監督。桜木からカンチョーされるなどコミカルシーンも数多くある一方で、彼の心の声ではたびたびトライ&エラーを繰り返している様子が描かれています。
特に試合を大きく左右した海南戦での後半4:40。魚住が5ファウルで退場となり、攻守の負担が仙道に集中する中、牧へのマークの負担を軽減するため、越野をダブルチームで付ける指示を出そうとします。しかし、ベンチにいた福田が「仙道のプライドが傷つく」「あいつはきっと負けない」と、ライバルでありチームメイトである仙道を気遣い、田岡監督を止めました。
予想外の進言を受けた田岡監督は「わかったよ福田 お前の言う通りだ」と、福田の意見を尊重しただけでなく、「オフェンス面の仙道の負担を軽減してやれ」「仙道を助けられるのはお前しかいない」と、福田をコート上に戻す計らいまでしています。
これが功を奏し、陵南は魚住不在で海南にリードを許していた状況から、同点で後半を終えるまでの健闘をみせました。
もしダブルチームを実行していたら、ノーマークとなった神にアウトサイドから大量得点を許し、仙道や福田をはじめ陵南の選手からの信頼を失っていたかもしれません。
土壇場で選手の進言を受け入れた田岡監督の器量と采配は、チーム全体に良い影響を及ぼし、結果的に神がかった判断となりました。
◆福田への「叱る指導」はトラブル発展も、実は結果オーライだった!?
福田といえば田岡監督に暴力を振るい、無期限部活動禁止となった選手。この発端は福田の繊細さに気づけず厳しい指導を行った田岡監督の指導方針の誤りですが、実はこれも結果として福田の成長にとって必要な過程だったのかもしれません。
福田は、根拠のない自信と承認欲求が異常に強いという桜木に似た性格の持ち主でした。新入部員時代は一番下手だったにもかかわらず、同級生でありスター選手の仙道をやたらと意識し、急速に成長を遂げた選手です。
そんな福田の力の源は「褒められたい」「認められたい」という欲求であり、それが強いほどに成長は加速し、プレーも良くなっていきました。部活動禁止期間中に彼の欲求は溜まりに溜まり、まさにピーク状態で決勝リーグ途中復帰を迎えました。
海南戦では牧を抑えるために仙道をPGに据え、スコアラーとして福田を起用したことも、田岡監督の選手の素質とコンディションを見抜く力によるものと考えられます。
試合で福田は見事に期待に応え、いきなりアリウープを決めるなど華々しい活躍をみせました。
続く湘北戦でも、マッチアップした桜木は福田のオフェンスに大いに苦しめられ、水戸洋平は「花道にとっちゃ人生でワースト3に入るくらいの屈辱だ」と語っています。
もちろん、最初から福田の性格を見抜けることが理想的だったかもしれませんが、結果的に福田の溜まった欲求を海南、湘北との連戦で爆発させ大いにハマったこと、そして暴力事件発生当時、田岡監督は「オレのミスだった……」とすぐに自分の非を認め、福田の復帰を待ち望んでいたことを踏まえると、最終的にはベストな判断ができたといえるかもしれません。
◆実は決して選手層の厚くない陵南を強豪校へ育てた功績
田岡監督の最大の功績は、陵南を海南や湘北と肩を並べる強豪校にまで押し上げたことでしょう。
陵南高校は前年神奈川ベスト4だったものの、魚住が3年になる年には翔陽、海南、湘北と競合が立ちはだかります。
特に海南は選手層が厚く、一見小柄で頼りない宮益でさえ県内屈指のシューターという実力でした。
一方陵南は決して選手層に恵まれたチームではありません。福田復帰後のスタメンは魚住以外全員2年と、翔陽と比較すると試合経験が圧倒的に不足していますし、3年も魚住と池上の2人しかいませんでした。三井や神のようなシューターもおらず、センターの控えである1年の菅平も赤木にはとうてい及びません。
そもそも田岡監督は三井、宮城、流川の引き抜きに失敗し、半分以上が理想のメンバでない地点からスタートしたチームです。その中で、海南と互角に戦えるほどの強豪校になったのは、選手の素質を見極めて信頼した指導者・田岡の最大の功績なのかもしれません。その手腕は、まさに名将と呼ぶにふさわしいといえるでしょう。
〈文/lite4s〉
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