なぜ流川は、インターハイ出場を決めた直後、アメリカ行きを決意したのか。多くの読者は、その後の山王戦で出会う沢北が理由だと考えるかもしれません。しかし、彼の本当の動機は、もっと別の場所にあったのではないでしょうか。孤独な天才の心の奥底に眠る渇きと、アメリカという舞台が持つ、もう一つの本当の意味。その答えは、既に県予選の激闘の中に隠されていたと考えられます。
◆「アメリカに行きたい」──県予選後に芽生えた“新たな渇望”
流川がアメリカへの意思を初めて口にしたのは、陵南との激闘を制しインターハイ出場を決めた直後でした。なぜ、あの時だったのでしょうか。
一つ目の理由として考えられるのは、彼の中で一つの大きな目標が達成されたからという点です。高校入学以来、彼の目の前に立ちはだかってきた最大のライバル、仙道。その仙道との激闘を乗り越え、インターハイ出場という切符を手にしたことで、彼は国内での大きな壁を一つ越えたと感じたのかもしれません。
常に上を目指し続ける彼にとって、一つの山を越えたとき、次に見えるのはさらに高い山。それが「アメリカ」という、より高い次元の舞台だったのではないでしょうか。
そして、もう一つ重要なのが、その重大な決意をほかの誰でもなく安西先生にだけ相談したという点です。チームメイトにも話さず、たった一人で安西先生の元を訪れた流川。この行動は、彼が安西先生をたんなるバスケット部の監督としてではなく、自分のバスケ人生を相談できる心から信頼する指導者として見ていたことの、何よりの証明といえます。
流川がアメリカ行きを口にした背景には、二つの大きな要因があったといえるでしょう。一つは、仙道との激闘を制しインターハイ出場を決めたことで、国内の頂をひとまず越えたという達成感。そしてもう一つは、その次なる夢を託す相手として、誰よりも信頼する安西先生を選んだという事実です。
この二つが重なったからこそ、あのタイミングで「アメリカに行きたい」という渇望が言葉となったのではないでしょうか。流川の告白は、新たな挑戦の始まりであると同時に、彼と安西先生の間に築かれた特別な絆を象徴する場面でもあったといえるでしょう。
◆「日本一の高校生に」──安西先生の“制止”が示した本当の道
「アメリカに行こうと思ってます」。流川のそのまっすぐな決意に対し、安西先生は静かに、しかしはっきりと「反対」の意思を告げます。その裏側にあったのは、かつて安西先生の教え子であった谷沢の悲しい物語でした。
谷沢は、安西先生が大学で指導していたころ、監督生活最後に日本一の選手へ育てようとしていた逸材でした。しかし、彼は自らの才能を信じるあまり、安西先生の制止を振り切ってアメリカへと渡ってしまいました。そして、夢半ばで挫折し、若くしてこの世を去ってしまったのです。
安西先生が流川を止めたのは、目の前の天才がかつての愛弟子と同じ過ちを繰り返すことを何よりも恐れたからと考えられます。それは指導者として、そして一人の人間としての深い愛情からくる親心だったといえるでしょう。
そして、安西先生は流川に冷静な現実を突きつけます。「君はまだ仙道君におよばない」。これは、流川の才能を否定する言葉ではありません。むしろ、彼の才能を誰よりも信じているからこそ「今のままでは、まだ世界では通用しない」という、的確な分析だったといえます。
この安西先生の言葉の正しさを、流川自身が身をもって知ることになるのが、山王との一戦です。そこで彼は、自分を遥かに上回る実力を持つ沢北と出会います。そして、その沢北ですらアメリカではまったくの無名であるという、厳しい現実を突きつけられるのです。
この経験こそが、安西先生の「まず日本一の高校生になりなさい」という言葉に重みと説得力を持たせたといえます。安西先生の的確な指導と、沢北という最高の目標の出現。この二つが、流川のアメリカへの挑戦をたんなる憧れから「日本一になってから」という、地に足のついた具体的な計画へと変えていったのかもしれません。
◆何百万本もうってきたシュート──孤独な天才の渇望
沢北という明確な目標ができ、安西先生という最高の指導者を得た流川。しかし、彼がアメリカを目指すのは、ただライバルに勝ちたいという理由だけだったのでしょうか。
流川は、常に「天才」と呼ばれ、その才能を称賛されてきました。しかしその一方で、彼のバスケに対するあまりにストイックな姿勢は、時に周囲との間に見えない壁を作り、本当の意味で彼を理解する人間はほとんどいなかったようにも考えられます。日本にいる限り、「富ヶ丘中の流川」「湘北のエース」という肩書が、良くも悪くも常について回ります。
しかし、アメリカへ行けばどうでしょうか。中学時代の名声も、インターハイでの活躍も一切通用しないゼロからの出発です。彼が本当に求めていたのは、そうしたすべての肩書を捨て去り、純粋に一人のバスケットボール選手として自分の実力だけで評価される場所だったのではないでしょうか。それは、誰にも本当の自分を理解されない、孤独な天才が抱く純粋な渇きだったのかもしれません。
その渇きを象徴するのが、豊玉戦で彼が放った「体が覚えてらっ…何百万本もうってきたシュートだ」という言葉です。これはたんに練習量を自慢する言葉ではありません。その裏には、誰にも見せることのない地道な努力の積み重ねと、その努力だけを信じて戦ってきた、彼の誇りが隠されているといえます。
流川がアメリカを目指す本当の動機。それは沢北へのライバル心だけでなく、あらゆる評価や雑音から解放され、自分の実力が本物かどうかを世界で試したいという渇望だったのかもしれません。彼の挑戦は、ライバルとの戦いであると同時に、自分自身との戦いでもあったといえるでしょう。
──流川がアメリカを目指す理由。それは、沢北を追いかけるためだけではなく、あらゆる肩書を捨て純粋な実力だけで世界を試したいという、孤独な天才の魂の渇きだったのかもしれません。
彼の視線は、常に目の前の相手のさらに先に広がる世界の頂点だけを見据えています。満足することなく高みを目指し続けるその姿は、挑戦し続けることの尊さを教えてくれるのかもしれません。
〈文/凪富駿〉
《凪富駿》
アニメ・漫画に関するWebメディアを中心に、フリーライターとして活動中。特にジャンプアニメに関する考察記事の執筆を得意とする。作品とファンをつなぐ架け橋となるような記事の作成がモットー。
※サムネイル画像:Amazonより 『「SLAM DUNK 新装再編版 」第7巻(出版社:集英社)』