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 「ホッホッホ」と穏やかに笑う湘北の監督・安西先生。その姿は、まさに「白髪仏(ホワイトヘアードブッダ)」そのものです。しかしあの笑顔が、最強の敵・山王工業を倒すために計算された「演技」だったとしたら。

 山王戦で見せた、あの鬼気迫る采配。彼の本当の姿は、勝利のためなら非情にもなれる、かつて大学バスケ界で恐れられた「白髪鬼(ホワイトヘアードデビル)」のままだったのかもしれません。

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◆「仏」の仮面の下準備──桜木花道という“秘密兵器”の育成

 安西先生が「鬼」の本性を隠し持っていたのだとすれば、その戦いは、山王戦が始まるずっと前から静かに始まっていました。彼の視線は、一人の「ど素人」、桜木花道に注がれていたのです。

 物語の序盤、初の紅白戦で、パスカットや赤木への脳天ダンクなど、桜木は驚異的なジャンプ力を見せつけます。そのときの安西先生の表情は、彼の才能の本質を「面白い」と見抜いていたようにも見えます。おそらくこのときから、安西先生の頭の中では、桜木を山王という巨大な敵を打ち破るための「切り札」として育てる、壮大な計画が始まっていたのではないでしょうか。

 その計画がもっとも分かりやすく形になったのが、インターハイ直前に行われた、2万本のシュート合宿です。ほかのメンバーが実戦練習を重ねる中、なぜ花道だけをチームから離し、地味な基礎練習を課したのか。それはたんに弱点を克服させるためだけではありません。山王という完成されたチームの常識を破壊できるのは、常識外れの成長を遂げる「秘密兵器」しかいない。安西先生は、そう確信していたのかもしれません。

 穏やかな笑顔で「ホッホッホ」と笑いながら、選手に2万本ものシュートという過酷な課題を課す。その姿は、優しい「仏」の仮面をかぶりながら、勝利のために冷静に選手を鍛え上げる、かつての「鬼」の姿そのものだったといえるでしょう。

 安西先生の「仏」としての指導は、一見すると選手の自由に任せているようにも見えます。しかしその裏では、山王戦という最終決戦を見据え、桜木という最大の奇策を、着々と、そして誰にも気づかれずに育て上げていた。彼の本当の戦いは、ずっと前から始まっていたと考えられるでしょう。

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◆山王戦で剥がれた“仮面”──随所に見える「白髪鬼」の片鱗

 周到な準備を経て迎えた、絶対王者・山王工業との一戦。この試合で、安西先生が被っていた「仏」の仮面は、ついに剥がれ落ちます。

 その最初の瞬間は、劣勢の場面で訪れました。交代を命じられた桜木がふて腐れた態度をとったとき、これまで決して声を荒らげなかった安西先生が、髪が逆立つほどの凄みとともに一喝したのです。「聞こえんのか?(あ?)」と。

 あの温厚な姿からは想像もつかない気迫。それは、勝利のために規律を乱す者は、たとえ桜木でも許さないという「白髪鬼(ホワイトヘアードデビル)」の本質が剥き出しになった瞬間といえるでしょう。

 彼の「鬼」の顔は、采配にも現れます。スタミナ切れの三井を、限界までコートに立たせ続けた判断。試合終了間際、一切指示を出さず選手に考えさせたタイムアウトも、極限の集中力を引き出すための計算された「鬼」の策略だったのかもしれません。

 そして、クライマックス。背中に痛みを抱える桜木を、安西先生は「指導者失格です」と自らを責めながらも、選手生命の危険を承知でコートに戻します。これは賭けではありません。桜木という「素人」の予測不能な動きこそが、山王のリズムを破壊する唯一の要素だと信じきっていた、勝利への恐るべき執念の表れだったのではないでしょうか。

 山王戦での安西先生は、もはや「仏」ではなかったのかもしれません。勝利という目的のために、選手に激昂し、限界を超えさせ、危険な賭けにも出る。その姿は、まさしく大学時代に恐れられた「白髪鬼(ホワイトヘアードデビル)」そのものだったといえるでしょう。

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◆なぜ彼は「仏」を演じるのか?──谷沢の悲劇を超えた“究極の指導法”

 山王戦で見せた「白髪鬼(ホワイトヘアードデビル)」の姿。では、湘北での穏やかな「白髪仏(ホワイトヘアードブッダ)」の顔は、たんなる演技だったのでしょうか。そのカギは、彼の過去、教え子である谷沢龍二の悲劇にあるのかもしれません。

 かつて安西先生は、厳しい指導で選手を鍛える厳格な監督でした。しかし、その厳しさゆえに愛弟子・谷沢を追い詰め、失ってしまった。この取り返しのつかない後悔が、彼の指導方針を大きく変えたと考えられます。

 湘北での「仏」としての指導は、選手の自主性を尊重し、自ら考えさせるスタイルです。しかし、それは決して「放任」ではありません。安西先生は、選手が壁にぶつかったとき、いつも絶妙なタイミングでヒントを与えてきました。

 流川には「日本一の高校生」という目標を、桜木にはチームプレーの大切さ、桜木自身が持つ才能を。選手たちは、自分の意志でプレーしているようで、実は安西先生が描いた勝利への道の上を走っていたのかもしれません。

 そう考えると、安西先生は山王戦という最高の舞台で、かつての「鬼」と、湘北で培った「仏」の指導法を一つにしたのではないでしょうか。

 普段は「仏」として選手の可能性を信じ、信頼関係を築く。そして、ここ一番の勝負どころで、勝利のために「鬼」の顔をためらいなく見せる。

 安西先生の「白髪仏(ホワイトヘアードブッダ)」の姿は、たんなる演技ではありません。それは、谷沢との悲しい過去を乗り越えた末にたどり着いた、選手の心を育てる「仏」の顔と、勝利を掴み取る「鬼」の顔を使い分ける、究極の戦い方だったといえるでしょう。

 

 ──安西先生の「仏」の姿は、選手の自主性を引き出すための計算された指導法だった可能性が高いといえます。その本質には、勝利のためなら非情にもなれる「鬼」の顔が隠されていました。山王戦で見せた姿こそ、彼の真の姿だったといえるでしょう。

 穏やかな笑顔の裏に隠された、勝利への執念と、選手への深い愛情。安西先生の二つの顔は、真の指導者とは何か、そして勝利の本質とは何かを深く問いかけてくるのかもしれません。

〈文/凪富駿〉

《凪富駿》

アニメ・漫画に関するWebメディアを中心に、フリーライターとして活動中。特にジャンプアニメに関する考察記事の執筆を得意とする。作品とファンをつなぐ架け橋となるような記事の作成がモットー。

 

※サムネイル画像:Amazonより 『「SLAM DUNK 完全版」第7巻(出版社:集英社)』

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