スパイの父、裏稼業を持つ母、心を読む娘。互いに正体を隠し「嘘」で塗り固められた偽りの家族、フォージャー家。しかし、その嘘は、3人が“本物の家族”のように絆を深めるほどに、皮肉にも脆く危ういものへと変わっていくのかもしれません。
目的が異なる3つの嘘の中で、誰の嘘がもっとも早く限界を迎え、この日常に終わりを告げる引き金となるのでしょうか──?
◆ロイドの嘘──“世界平和”という大義名分が揺らぐとき
フォージャー家をつなぐ3つの嘘の中で、一番強固に見えるのが父ロイドの嘘です。
彼の嘘は「オペレーション<梟>」を成功させ、東西の平和を守るという大きな「大義」に基づいています。スパイ<黄昏>として、彼はこれまで任務のためなら非情な選択もいとわない、鉄の仮面を被り続けてきました。
しかし、アーニャとヨルという偽りの家族との生活は、その鉄の仮面に少しずつひびを入れていきます。アーニャの成長に純粋な喜びを感じ、危険な目に遭えば父親として怒りを見せる。そして、心優しいヨルの存在は、張り詰めた彼の心を癒していきます。彼の心の中には、冷徹なスパイとは別に、愛情深い“父親”や“夫”としての感情が芽生え始めているのかもしれません。そして、その芽生えた「情」こそが、彼の嘘が抱える最大の弱点といえます。
任務の遂行がアーニャやヨルの命を危険に晒すことになったら、彼はどうするでしょうか。たとえば、ヨルが敵国のスパイと疑われ、組織から「排除せよ」と命じられたとき。あるいは、アーニャが誘拐され、任務と彼女の命を天秤にかけなければならなくなったとき。彼は「世界平和」という大義のために、“家族”を見捨てられるのでしょうか。
ロイドの嘘が限界を迎えるのは、任務の終わりではないのかもしれません。それは、任務の途中で「家族を守りたい」という個人的で温かい感情が「世界平和」という冷徹な大義を超えてしまった瞬間。彼の嘘は、その人間らしい感情によって、内側から崩壊する危険性を持っているといえるでしょう。
◆ヨルの嘘──“偽りの自分”と“本当の自分”の境界線
ロイドの嘘が「大義」の上にあるのに対し、母ヨルの嘘は、もっと個人的で脆い可能性があります。
彼女が偽りの妻を演じる理由は、弟を安心させ、自分の“普通の居場所”を守りたいという願いに基づいています。彼女は、ロイドやアーニャと過ごす温かい食卓に、初めて心からの安らぎを感じ始めていました。この偽りの家族が、彼女にとってかけがえのない“本物の居場所”になりつつあるといえるでしょう。
しかし、彼女の嘘には、スパイであるロイドとは比べ物にならない致命的な欠陥があると考えられます。それは、彼女が絶望的に「嘘が下手」であるということです。
ロイドのように冷静に嘘を重ねられず、予期せぬことがあるとすぐに顔に出てしまう。お酒を飲めば超人的な身体能力を隠せなくなる。彼女の純粋で天然な性格は、偽りの自分を演じ続けるにはあまりにも不向きなのです。
では、そんな彼女の嘘が限界を迎えるのはどんなときでしょうか。それは、外部から正体を暴かれるのではなく、引き金は彼女自身の心の中にあるのかもしれません。
愛するアーニャやロイドの命が目の前で危険に晒されたとしたら。彼女の裏稼業の技術、<いばら姫>の力を使わなければ助けられない状況に陥ったとしたら。
そのとき、彼女は「普通の母親」という嘘の仮面を被り続けられず、自分の正体がバレることを恐れることなくただ家族を守るために力を解放する可能性が高いです。
つまり、ヨルの嘘は3人の嘘の中でもっとも技術的に脆く、そして彼女自身の「家族を愛する心」によって崩れ去る危うさを持っています。彼女が愛する家族のために<いばら姫>として戦うとき、フォージャー家の偽りの平和は終わりを告げるのかもしれません。
◆アーニャの嘘──“すべてを知る者”の悲しい覚悟
ロイドやヨルの嘘には危うさがあります。しかし、アーニャの嘘は、それらとはまったく違う、もっと悲しくて根深い危うさを持っているのかもしれません。
まず、アーニャが嘘をつく理由を考えていくと、彼女の嘘の根源にあるのは、ロイドの任務を成功させ、ヨルに母親でいてほしい。そして偽りの家族が“本物の家族”になってほしい、という純粋な願いだといえます。
彼女は心を読む力で父と母の正体をたった一人だけ知り、そのうえで知らないふりをし続けています。3人の嘘の中でアーニャの嘘だけが、自分以外の「フォージャー家」を守るためだけにつかれている。それはもっとも優しく、悲しい嘘だといえるでしょう。
では、この嘘が持つ「危うさ」とは何でしょうか。ロイドやヨルの嘘には「任務が終わる」「正体がバレる」といった「限界」が見えます。しかし、アーニャの嘘はどうでしょう。彼女の嘘は、フォージャー家が続く限り永遠に終わらないのではないでしょうか。父と母が本当のことを打ち明けてくれる日まで、一人ですべての真実を胸に抱え、純粋な子供を演じ続けなければならないのです。
この誰にも理解されない終わりのない孤独な戦い。それこそが、アーニャの嘘が持つ最大の“危うさ”だと考えられます。
アーニャの嘘は3人の嘘の中で一番バレる可能性が低く、強固といえるでしょう。しかしその強固さゆえに、彼女は永遠に「すべてを知る孤独な子供」でいなければならないという、残酷な運命を背負っているのかもしれません。
つまり、嘘を守り続けることでアーニャの心がすり減り、いずれ壊れてしまうかもしれない。それこそが、この家族が抱える最大にして、もっとも見えにくい時限爆弾だといえるでしょう。
──ロイド、ヨル、アーニャ。3人がそれぞれにつく、脆く、儚い嘘。ロイドの嘘は「情」によって、ヨルの嘘は「愛」によって、いつか限界を迎える可能性があります。しかしもっとも危ういのは、限界がないゆえに、アーニャが永遠に孤独を強いられる嘘です。
3つの嘘のうえに成り立つ、奇跡のような偽りの家族。誰かの嘘が限界を迎える日が来るのか、それとも本当の家族になる日が来るのか。その危ういバランスのうえに成り立つ日常の尊さこそが、この物語を輝かせているのかもしれません。
〈文/凪富駿〉
《凪富駿》
アニメ・漫画に関するWebメディアを中心に、フリーライターとして活動中。特にジャンプアニメに関する考察記事の執筆を得意とする。作品とファンをつなぐ架け橋となるような記事の作成がモットー。
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