『映画クレヨンしんちゃん襲来!!宇宙人シリリ』が'17年、4月15日に公開スタートされました。
私は『クレヨンしんちゃん』が大好きなので、毎年楽しみにして映画館へ足を運んでおります。
本映画はゲラゲラ笑えたり、ホラー演出が用意されていたり、さらには歴代映画キャラクター、そしてアイテムが登場したりと非常に楽しい仕上がりになっておりました。
ただ一点、気になるのが最後のオチ。
あのラスト、皆さんはどう思いましたか?
エンドロール後の思わぬ展開
『襲来!!宇宙人シリリ』のエンドロールでは、シリリが野原一家に混ざって生活をおくる姿があり、私はこの思わぬ展開に“度肝”を抜かれました!!
しかも、エンドロール後、“シリリのお母さん”が現れます。
全く話に絡んでこなかったキャラクターを結末に持ってくる……。
しかも、シリリが野原一家に加わったと思わせた矢先、突如息子を迎えにくるなんて、これはもう……反則技ではないでしょうか?
「酷い終わり方だなぁ・・・」
と、映画を観終えた私はその反則的なラストシーンを酷評。
ですが、後日、
「むしろあの結末は、必然だったのでは?」
と考えを改めたのでした。
上のように、本作品のラストに関して「酷い」とまで言った私。その私がなぜ、ネガティブな前言を撤回し、考えを改めたのか?
そこでここでは、『襲来!!宇宙人シリリ』の結末にピントを当て、なぜこのラストシーンが「必然」であったのか、考察していきます。
なぜエンドロール後にお母さんを登場させたのか?
本映画のエンドロールでは、まるでシリリが、これからTVアニメのレギュラーとして登場するかのように描かれていました。
ですが、シリリは“宇宙人”です。
原作及びTVアニメの『しんちゃん』は劇場版と違って、戦国時代にタイムスリップなどSF要素は見当たりません(一部例外もあり)。
つまり、TVアニメにシリリを登場させてしまえば、これまでの『クレヨンしんちゃん』とは全く別の作品になってしまいます。
だから、どうしても、劇中でシリリを野原一家と離す必要がありました。
また、シリリが野原一家として受け入れられたまま終わってしまうと、『襲来!!宇宙人シリリ』のコンセプトが、親から逃げ出すことがゴールになってしまいます。
確かに劇中では、親元から離れることを肯定しています。だからといってシリリの父親を完全に否定はしていません。
そして、実際、シリリの父を完全な悪者として劇中にて描写していないというところも注目すべきポイントです。
シリリのお父さんは息子のため、人員を割いて大層な作戦を実行。
また、息子が自分のことを好いてくれると思い込むなど、随所々々できちんとパパらしく彼のことを思っています。
つまり、本作のコンセプトが“親から離れることではない”ということを伝えるためにも、肉親である母親が迎えにくるという半ば強引なラストシーンは、作品全体を通して伝えたかったメッセージを読み誤らせないために、必要な役割を果たしていることになります。
では、『襲来!!宇宙人シリリ』が物語を一貫して本当に伝えたかったモノとはいったい?
それは、この映画で、シリリを変えたモノが何であったのかを読み取ることで見えてきます。