(C)尾田栄一郎/集英社・フジテレビ・東映アニメーション

 お金は日常生活に大きく関わってくるものですが『ONE PIECE FILM GOLD』では、お金に支配された人たちや、借金に苦しむ人々の姿が描かれています。

 日本には今、借り入れ金のある世帯は単身世帯(2,500世帯)、二人以上の世帯(5,000世帯)ともに約20%いることが調査で判明(金融広報中央委員会 2022年度(令和4年度)調査)。

 そんな借金や生活苦で多くの人がお金の悩みを抱えている中、本映画は『ONE PIECE』にしては珍しい“お金”をテーマにしていて、お金が支配しているこの世の中とどのように付き合っていけばいいのかを教えてくれています。

◆この映画のキャラたちは「数年後の日本人」の姿を描いている?

 

 『ONE PIECE FILM GOLD』に登場する人たちの姿は、今の日本でお金に困っている人々の姿と重なり、近い未来、借金などで生活苦に陥る人が増えることを予想しているように見えます。

 本映画に登場する宿敵はカジノのような巨大都市“グラン・テゾーロ”を経営するテゾーロ。ゴルゴルの実を食べたことで、一度触れた金(きん)なら自在に操ることのできる能力の持ち主です。

 『ONE PIECE』の世界の通貨の“20%”を掌握するとされる権力者で、世界政府からも注視されている存在でもあります。

 この映画は、自由を追い求めるルフィと、そんな彼をお金の力で支配しようとするテゾーロが衝突する物語です。

 『ONE PIECE FILM GOLD』の興味深いのは、グラン・テゾーロでのギャンブルに負けた人たちやその家族は、借金を返済するためにひたすらに労働を強いられ奴隷のように扱われていたり、逆らう者は金で作られた牢獄に突き落とされ、死ぬまで周りに金しかない環境で生きていかなければならないという世界観になっているところ。文字通り彼らは“お金に捕らわれたまま”死んでいくという姿が描かれています。

 そんなグラン・テゾーロの人たちとルフィが対面するシーンがありますが、飲食店を訪れた麦わらの一味はその店内で、客によって理不尽な扱いを受けながらも、借金があるが故に逆らえずにおとなしく頭を下げるしかない弱者の姿を目撃します。

 あまりにも理不尽に責められる姿を見たルフィは、借金を抱える人たちに「なんで戦わねぇんだ」と凄むのですが、そこで働く少年・リッカは「戦ったって意味ねぇだろ。お金がなけりゃ自由になれねぇんだ。」と反発。『ONE PIECE FILM GOLD』は、まさにお金に支配された世界を舞台に、そのような状況をルフィがブチ壊していく様子が描かれているのです。

 この映画が描いているお金が支配するグラン・テゾーロの世界は、今の日本や世界を描いているようにも映ります。

  お金という概念が生まれてから数千年が経ちますが、今や国と国のやり取りにおいてもお金が交渉の手段となっており、お金が日々の糧を生み、信頼を作り、さらには未来を保証していく存在となっているのは事実といえるでしょう。

 お金なしには生きられないという意味では、まさに今私たちが生きている世界こそがお金が支配するグラン・テゾーロそのものともいえます。

 生活のために毎日汗水たらして働き続けたり、貧しい生活を送りながらも税金を納めたりと、グラン・テゾーロで奴隷のように借金の返済のために働き続け苦しい生活を送る人たちの姿は他人事には思えず、現在の日本でお金に困窮している人々の姿と重なるのではないでしょうか?

 ましてや、それを代表するキャラクターとして登場する少年・リッカがまだまだ幼い子どもという設定は、貧困が叫ばれる若年層を暗示しているようにも受け取れます。ファンタジーとして見過ごせない、現実と似た世界がこの映画の中にはあったのです。

 冒頭で紹介した調査では、新型コロナウイルス感染症の世界的な流行が起こった2020年以前に比べると、大幅に借り入れをする人の数が下がっており、コロナ禍による収入減によって失業するなどして信用を失い、お金が借りにくくなったことで割合が下がったと推察できます。

 5人に1人がお金を借り入れていると考えると、かなり多く感じられますが、それ以上に借りたくても借りられないという人の存在が浮き彫りになってきていることのほうが、日本の将来をより不安にさせます。

◆映画のような爽快なラストを迎えるのは難しい……

 『ONE PIECE FILM GOLD』はなぜ戦わないのか」と叫んだルフィが、その疑問をそのまま自分の体で表現するかのごとく爽快な一撃でテゾーロを打ち負かしてくれますが、勧善懲悪物としてテゾーロがルフィに“ぶっとばされる”という点では、映画としては気持ちの良いラストではあったものの、理屈で打ち勝っているかといえば悩ましい顛末です。

 ルフィ自体はお金にほとんど無関心な分、仲間のナミといった存在があるからこそ、お金を気にせずに生きていけるのではないでしょうか。

 これはルフィが楽観的ということを指摘したいのではありません。「ルフィは自分にできることをやる」という責務があり、できないことを仲間に任せていくというスタンスがあって成立している存在。

 本映画でもルフィにだけテゾーロを出し抜くための作戦が完全には伝えられていないなど、麦わらの一味がそれぞれ自分にできることを全力でしていくという適材適所ぶりが顕著に描かれています。

 むしろ、ここでルフィがどういう存在として描かれているかは、お金に支配なんてされずに、お金の支配に立ち向かう精神をルフィは背負って、この映画でテゾーロに一撃をお見舞いしてくれていると受け取った方がいいでしょう。

 お金があろうとなかろうと、お金に精神まで支配されていては、本当の自由は得られない。そんなメッセージがルフィの最後の一撃には込められています。

 ただ、悩ましいのは現実世界では、ルフィのようなヒーローがいないこと。ある日急にルフィが現れて、抱えていた借金がなくなるわけでもなければ、お金での取引が急になくなることもありません。

 ルフィがこの映画で教えてくれるのは、“お金にとらわれてしまうこと”からはしっかり脱却していこうという精神性の部分であるならば、私たちは具体的にはどんな行動を起こしていけばいいのでしょうか。

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