◆いいように使われていいの?趣味でお金を稼ぐのは難しいこと
映画 『ゆるキャン△』の描いている「労働」は、かなり特殊なものだったということは忘れてはいけません。
前述しましたが、なでしこたちはキャンプに対する「好き」という気持ちの動力源があるからこそ、休日に別の仕事をやれるような心の余裕があったともいえます。
彼女たちがやってきたことは「労働」ですが、当人たちにとっては「趣味」に近い感覚だったのかもしれません。
また、現実では誰しもが、休日に別の労働に取り組むような余裕があるわけでもなく、そもそもの休日が限られているケースもざらであり、このキャンプ場の開発が一時的なものであることも忘れてはいけないでしょう。
企業などに就職して取り組む例とは違い、なでしこたちには次のキャンプ場開発の現場があるわけではありません。
そもそもなでしこたちの作り上げたキャンプ場がどういう運営設計になっているかも描かれておらず、実は開発してからの「後の話」についてはかなりうやむやになっています。
そもそも「好き」を仕事にしている人ばかりではありません。好きなことだからこそ、仕事からは切り離すという考え方の人ももちろんいるでしょう。
なでしこたちは本業があって、休日にキャンプ場作りをしています。いってしまえば、キャンプ場の開発は副業のようなものです。
自分の好きなことで副業ができるというのも恵まれているといえますが、その報酬実態は劇中で明かされていないのが気になるところ。
また、なでしこたちがその気でないにしても、キャンプ場の再開発が本業になっておらず、副業の域を超えていないというところも、この映画で注目すべき点です。
もし、キャンプ場の開発が本業の収入を上回っていたとすれば、なでしこたちは、もしかしたら本業をやめ、こちらで独立を考えるかもしれません。
それができていないからこそ、本業はやめられず、休日を使ってキャンプ場の開発を行っていたという見方もできます。
また、彼女たちがボランティアでキャンプ場の開発をしていたとすれば、劇中ではボランティアにしては割に合わない描写があります。「好きだから」の一言では片付けられないのも、この映画で注目すべき点の一つでしょう。
たとえば、ある動画配信者が好きだったとします。その配信者のことが好きだから動画を無償で作ってあげるといったケースが現代ではよく見られます。
動画を作るのは、業者に頼めばそれなりの値段がします。それなのに「好き」という理由だけで、お金をもらわずに動画配信者に貢献していいものなのでしょうか。
どんなに好きであっても、貴重な自分の時間をその配信者のために使うということは、うまく使役されていることと同じことなので、一度立ち止まって自分の行為が正当なのか考える必要があるかもしれません。
このように、なでしこたちも、もしボランティアでキャンプ場の開発をしていたとしたら、キャンプ場のオーナーにうまく使われていたということで、本当に得をするのは、キャンプ場にお客さんを呼び込むオーナーということになります。
──映画 『ゆるキャン△』は労働の秘訣がたくさん詰まった映画なのは間違いないでしょう。壁にぶつかったときに、たとえばどう解決していけばいいのかということや、そもそも労働とは何かを問いかける映画として見事に仕上がっているのは事実です。
この映画では、なでしこたちが労働者なのか、ボランティアなのかがはっきりと描かれていないからこそ、彼女たちの活躍を見て爽快感が味わえるといえます。
働く者も働かせる者もこの映画を観て忘れてはいけないのは、現実ではしっかりと労働に対して相応の「報酬」が必要であること。
映画だったからこそ、労働の対価について見ないふりはできたかもしれませんが、現実で見ないふりを続けていては、給料据え置き物価の高騰に振り回されるだけではないでしょうか。
〈文/ネジムラ89 編集・監修/水野高輝(マネーメディア コンテンツディレクター)〉
《ネジムラ89》
アニメ映画ライター。FILMAGA、めるも、リアルサウンド映画部、映画ひとっとび、ムービーナーズなど現在複数のメディア媒体でアニメーション映画を中心とした話題を発信中。缶バッチ専門販売ネットショップ・カンバーバッチの運営やnoteでは『読むと“アニメ映画”知識が結構増えるラブレター』を配信中です。Twitter⇒@nejimakikoibumi