<この記事には劇場版『グリッドマン ユニバース』のネタバレが含まれます。あらかじめご注意ください。>

 3月24日から上映がはじまった『グリッドマン ユニバース』は、ド派手なアクションパートとは対照的に、さり気ない角度からこの映画が描いているメッセージをドラマパートに差し込んできます。特に印象に残るのは、エンドロールが終わったあとに挟まれるまさかのシーン。

 『グリッドマンユニバース』とはどんなメッセージが込められた映画だったのでしょうか?

◆グリッドマンのことを信じる裕太は私たちそのもの?

 『グリッドマン ユニバース』の設定の特殊なところが、作中の登場人物にとってもグリッドマンが本来は存在しないはずの存在として描かれていることです。本作の主人公である裕太たちにとって、怪獣と一緒に戦っているグリッドマンは本来いるはずのない人物であり、そのイレギュラーな存在だったことがこの映画では問題の原因となり、別の世界線だったはずの『SSSS.DYNAZENON』との合流を引き起こしていきます。

 作中のキャラクターたちにとって虚構の存在であるグリッドマン。裕太たちとグリッドマンの関係性は、そのままこの映画を見ている私たちにも重なります。本当は存在しないはずの“グリッドマン”を応援し、その活躍に心を震わされ、勇気や元気を貰う私たちは、まさに裕太たちそのままじゃないかと気づかされるそんな体験となっていました。

 さらに作中では、人間は虚構を信じられる唯一の生命体として語られるのも特徴です。

 グリッドマンに限らず、この世の中にはアニメーションや特撮作品の架空のヒーローが山の様に存在します。それらは時に“作り物”として軽く見られることもあります。しかし、たとえ本当は存在しないヒーローによって起こされたとしても、得られた感動は確かにあるとこの映画は謳っているわけであり、架空のヒーローに夢中になっていることをバカにされた経験がある人ほど、本作の描く物語が優しく染みるのではないでしょうか。

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