この2人は果たして「死ぬ」意味はあったのだろうか?

 結論を先に言うと、2人の「死」はとてつもなく大きい意味があると思います。ストーリーの折り返しやどんでん返しとして重要なキャラクターが死亡するというのは、どのジャンルにも限らず常套手段ですよね。話を新しい方向性に持っていくなり、主人公らの決意を固めるきっかけにすることができる簡単な方法とも言える分、やり方が安易とも受け止められることもあります。いわゆる「死亡フラグ」という言葉も、この手法を使ってキャラクターを死なせば感動的であろうという作家の知恵が多様化されて一般化したものであると考えられるのです。

 さて上記でも説明した通り、『銀魂』では全体を通してキャラクターが死ぬということはほとんどありませんでした。「真選組動乱篇」の伊藤鴨太郎や「吉原炎上篇」での鳳仙など、亡くなる場合でも「救済」を取って終わらせるというパターンもあります。ほとんどの問題や事件について、『銀魂』は「救う」という手段を持って解決をしてきたののだと思います。

 あれだけ多くのキャラクターが登場しているにも関わらず、死んでいるキャラが少ないのはなかなか珍しいのではと思いました(よくよく考えたら『ワンピース』や『とある魔術の禁書目録』も、大勢が出る割に死んだキャラが少ない印象がありますね)。それだけに、この2人が本当に死んだのは「将軍が、警察庁長官が死ななければ動けない状態」だったのではと考えます。

 実際、茂茂が亡くなったことで「新将軍の誕生」、「近藤、松平の失脚」、「佐々木の昇進」ができ、「さらば真選組篇」に続いたわけです。茂茂が生きている限りストーリーを大きく動かすのは難しかったのかもしれないです。

 佐々木異三郎も同様で、彼の死によって徳川喜喜は警察組織の一新を図るわけですが、その反動で今まで警察内で溜まりに溜まった不満が爆発。見廻組は事実上解体し、真選組についていく人が出てくるようになり、その真選組も「討幕のため」狙われやすい江戸から一時的に下野し討幕の機会を図るようになります。

 そして万事屋メンバーが烙陽で春雨軍団の神威や虚と戦を交えるなか、ボロボロになった幕府のスキを突くように、「銀ノ魂篇」で登場するアルタナ解放軍が江戸に押し寄せていたのでした。状況の善悪はともかく、ここまで事態を大きく動かせたのも、重要なポジションにいた佐々木異三郎の死がどこまで大きなターニングポイントであったかが分かります。

 個人的にも好きな2人なので死んでほしくなかったなぁ……と思っていますが、じゃあこの2人の死なしでどういうストーリーになっていたのか? と考えると、ただ死なせたわけでは全くないんだなと感じさせられました。

 「銀ノ魂篇」でも、実はまた重要なキャラが亡くなっています……。『銀魂』最終章、アニメはいったいどこまで突き進んでくれるのか、これからが楽しみです。

(Edit&Text/頭皮ぱっしょん)

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