近年、社会的大ヒットを巻き起こしたアニメのひとつとして、知られる『魔法少女まどか☆マギカ』。本作は、魔法少女作品の型破りであり、魔法少女の裏側を表した鬱展開は、我々視聴者に衝撃を与えました。そんな鬱展開の中でも、光を失わずに輝いていたのは「鹿目まどかの優しさ」でしょう。
まどかの優しさは、劇中でも言及されるほど。物語のテーマのひとつとしてフィーチャーされていました。
ではなぜ、まどかは、暁美ほむら等の魔法少女から「優しすぎる」と言われ、我々にもそんなイメージを放送終了から今に至るまで、与え続けているのか。今回は、その理由を紐解いていきます。
鹿目まどかは、魔法少女なのに戦わない?
鹿目まどかは歴代魔法少女と名高い、『カードキャプターさくら』の木之本さくらや、『魔法少女リリカルなのは』の高町なのはと確実に違う点がひとつあります。それは「終盤まで一切戦わないこと」です。さらにいえば、鹿目まどかは最初の変身も終盤になってからなんです。
『カードキャプターさくら』の木之本さくらは元からコスチュームを着ており、『魔法少女リリカルなのは』の高町なのはも早めに変身して戦っています。しかし、鹿目まどかはキービジュアルで「弓」を持っていて、明らかに弓を射って戦ってくれるであろう雰囲気を出しているにもかかわらず、弓の出番が殆どありません。
魔法少女になって変身したのは最終回の第12話という大詰めの場面でした(第10話過去シーンは除く)。つまり、鹿目まどかは戦わない魔法少女なのです。
では優しさがポイントというのはどういうことか?
鹿目まどかは「戦うべきではない子」です。戦うべきではないというよりは、戦いに向いていないといった方がいいでしょう。彼女は、魔女であれ獣であれ、殺す事や傷付けることに強く心を痛め、戦いで相手を苦しませるということが出来ないタイプです。当初、魔法少女になって叶えたいと望むことが「誰かの役に立ちたい」と、自分を対象にせず「誰か」という不特定の存在に向けての願いでした。何でも叶えられる中で、誰かも分からない人の役に立ちたいと願うのは鹿目まどかが優しいという証拠でしょう。
自分の命に代えても魔法少女を救う
鹿目まどかは最終的に、「アルティメットまどか」と呼ばれる、概念になってしまいました。概念になったというのは、人間としての命を捨てたということに相当します。。命を捨ててまで叶えたかった願い、それは「魔法少女の救済」。自分の命と引き換えにしてまで、鹿目まどかは「誰かの役に立ちたい」といった根本の願いを叶えてしまったのです。
魔女化したさやか、目の前で殺されたマミのように、見知っているから親友だから助けたいというのではなく、魔法少女全体を対象にした願いを叶える彼女が、「優しくないわけがない」のです。暁美ほむらからも「貴女は優しすぎる」と言われており、さやかからも「なんでそんなに優しいかな」と告げられています。
鹿目まどかは光
鹿目まどかは、優しすぎて闇が自ら逃げていくほど光に満ち溢れた子なのです。彼女がいるからこそ本作は鬱展開でも輝いているのでしょう。『魔法少女まどか☆マギカ』における「救いの太陽」と彼女のことを言ってもいいのでは?
戦わずに誰かの役に立って救いたいという考えは、魔法少女としては未熟で愚かな思想といえますが、人間としては非常に稀で、人間が存続していくには大切なことなのではないでしょうか。
(Text/フリーマン田中 Edit/水野高輝)
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