<この連載記事には映画『天気の子』のネタバレが含まれます。ご注意ください>

 いまの子どもたちに明るい未来は待っているのか? 帆高や陽菜みたいな子が、これからも増えていくのでは──。

 映画『天気の子』は、高校1年生の帆高も陽菜も、お金と職に困っているという状態から物語がスタート。まだ若い二人が、貧しい立場に置かれているのは偶然ではなく、本作では、停滞していく「日本のリアルな貧しさ」が描かれています。

◆「日本が貧しくなった」ことを伝えたラストシーン?

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<©2019「天気の子」製作委員会>

 映画『天気の子』は、まるで「日本がどんどん貧しくなっていく」ことを伝えたような終わり方をしています。

 本作のラストは、東京が大量の雨により水没してしまうというもの。晴天をもたらす力を使いすぎ、天へと昇った陽菜。そんな彼女を帆高が連れ戻したことで東京は2年半もの間、止まない雨が降り注ぎます。

 『天気の子』が迎えるこの結末は、あくまでファンタジーであり、実際に東京がこんな水に沈んだようなことはもちろんないのですが、この東京のどうしようもなくなった姿は今の日本の経済にも重なるのです。

 かつて、1970〜1980年代にかけての、日本の経済成長に比べると、1990年代以降は停滞を続けています。度重なる災害を受けながら、消費税はたびたび増税。年金の受給年齢は引き上げられ、“失われた10年”と呼ばれていた停滞は20年、30年とズルズル伸びていき、いまの日本は抜け出せない泥沼の中のようです。それはまさに『天気の子』が最後に見せた光景に似ています。

 『天気の子』が描く水没した東京にどうしても経済を重ねてしまうのは、この映画のところどころに、貧しいものの見方が登場するからです。

◆なぜ「まだ子どもなのに」お金の心配をしないといけないの?

 陽菜は、親を亡くしていて、弟の凪と二人で生活しています。本人は、帆高に対してまもなく18歳であると伝えるのですが、実はそれは嘘であり、14歳の本当であればまだ義務教育下にあったはずであることが終盤で明らかになります。

 学校にも通わず、年齢を偽ってお金を稼いで生活をしているという陽菜。詳しいことは描かれないものの、保護者がいない状態で児童だけで生活している状態はおかしく、保護者となる人物がいなかったのか、はたまたその保護者となる人物との間に問題が生じたのか。なんらかの事情で止むを得ず、働く道を選択したのではないかと想像させられます。

 一方の帆高は、家出をしてネットカフェを拠点に生活。その姿からは2007年に新語・流行語大賞のトップテンにも選出された“ネットカフェ難民”の姿を思わせます。

 しかし、学生証を提示しないで入れるアルバイトなんて簡単には見つからず、帆高はネットカフェ難民にもなれません。食費を削って生活することになるわけですが、もちろん長くは続きません。

 結局、圭介のプロダクションで働くことになるのは良かったものの、住み込みで食事はつくとはいえ、3,000円というありえない月給で働くことになります。しかも肝心の帆高はその金額に疑問を持たずに生活していて、幼さや金銭感覚の甘さも見て取れます。

 そんな二人が、自分たちで“晴れ女”のサービスを始めて、それが波に乗り、お客さんに喜んでもらいながらお金を得られる。そんな理想的なお金儲けに成功するからこそ、カタルシスを感じるわけですが、この気持ち良さは散々描かれた危うさがあったからこそです。

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