念願叶いまして2017年11月2日~5日にかけて開催された第4回新千歳空港国際アニメーション映画祭へ、私、ネジムラ、遥々地元静岡から北海道まで飛びまして参加することができました。
こちらの映画祭では、TVアニメ作品から海外の珍しいアニメーション映画まで、多種多様な作品が上映されるイベントとなっております。そして、今年はなんといっても私が気になっていたある映画が上映されることが発表されまして、なんとしてでも行きたいと思っておりました。
その映画が『サイコノータス~忘れられた子供たち~』です。
今回ついにそんな本作を観てくることができたので、その感触をご報告したいと思います。
『サイコノータス~忘れられた子供たち~』とは
『サイコノータス~忘れられた子供たち~』は、2015年に初公開となったスペインのアニメーション映画です。
監督はアルバート・バスケス氏。この映画は、もともとバスケス氏が出版した漫画が原作となっている作品です。
今回新千歳空港国際アニメーション映画祭で上映される長編映画よりも以前に、短編アニメ『Birdboy』が公開されており、こちらの作品はスペインにおけるアカデミー賞であるゴヤ賞にて短編アニメーション賞を受賞しました。
『サイコノータス~忘れられた子供たち~』のストーリー
本作は少し不思議な物語です。
舞台は大爆発によって荒廃した島。
主人公の一人、ネズミの女の子ディンキは、家族を捨て、仲間達と島を出ようと思い立ちます。そして、そんなディンキと恋仲でもあり、警察たちに追われる身であるバードボーイも、島の脱出に誘われます。ですが、バードボーイはそのメッセージを知っても、同行はせず一人島を漂い、煙草を吸ったり、薬を吸ったり。
そんな中、ディンキと仲間たちは、大きなピンチに見舞われます。バードボーイがそのピンチを知った時、物語が大きく動き出すのでした。
果たしてその映画の感想は?
本作を観てまず感じたのは、「うわー難しい」という感想でした。
少し噂には聞いていたので、身構えてはいたのですが、やはり鑑賞後にも反芻してかみ砕いて理解していくような映画でした。
バードボーイにはある葛藤する出来事があるのですが、それが何なのかはセリフなどでは具体的に語られません。
また、作中に登場するキャラクターの倫理観も我々とは大きく離れる部分があるのも、作品の理解の難しさに拍車をかけます。ディンキたちは、他人の家のお金を奪おうとしたり、バードボーイは、薬や粉を吸って、そのままの意味でのドラッグ描写が含まれています。そしてそれを問題提起として語るようなストーリーでもありません。
ここではないどこかを求めるディンキたちと、半ば自暴自棄状態でありながら島にある貢献をしているバードボーイ。その二つの軸がある出来事で交差した結果、迎えてしまう“せつない”結末には、果たしてこの映画が何を描こうとしていたのか、すぐには飲み込ませてくれませんでした。
ただ、そんな鑑賞後のモヤモヤした気持ちを凌駕するある感情も私の中で芽生えておりました。
「この映画、すごく好きだ!」という気持ちです。
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それでも好き!『サイコノータス~忘れられた子供たち~』
この映画、キャラクターたちが二頭身ほどでデザインも可愛いのですが、全体的に暗く、不気味で危険な雰囲気。しかも、ディンキには下着をつけるシーンや、胸が豊満である描写があったり、バードボーイはなぜかスーツで思いっきり煙草をふかしたりと、デティールはすごく大人っぽいのです。
その全体の、可愛さに甘えない・媚びない絶妙なバランスが魅力的でした。
そしてなにより、そんな殺伐とした物語を経て迎えてしまうせつない結末。これはいろんな受け取り方のできるラストだと思うのですが、私が感じたのは決してネガティブなだけの印象ではありませんでした。
むしろ、そんな暗い世界に一筋の光が差すような極上の希望を与える、ポジティブなエネルギーを私に与えてくれるように感じました。
世の中、この映画のままのような荒廃した世界ではないのですが、ここではないどこかを求めて逃げ出したいと思っている人も多いと思います。
そんな甘くない現実に苦みという味わいで潤いを与えてくれるブラックコーヒーのような映画、それが『サイコノータス~忘れられた子供たち~』なのではないかと思います。
なかなか人は選ぶ作品なのかもしれませんが、私にはずば抜けた思い入れが生まれるほどのイチ押しの映画でした。キャラクター大国の懐の大きさを以てして、是非日本でも全国上映して欲しい一作です。
(Edit&Text/ネジムラ89)