◆あの“黒幕”が伝えたこと──感性の違う裕太と内海
さらに『グリッドマン ユニバース』が輪をかけて凄まじいのが、その虚構を信じる様子にもさまざまな角度での見方があることを伝えているところです。
『グリッドマン ユニバース』の序盤で、裕太と内海が学園祭の出し物である劇の脚本づくりの勉強を一緒にするシーンがあります。
ヒーローショーを観て涙ぐむ内海に驚く裕太が描かれたと思えばその直後、今度は劇団の公演でボロボロと涙を流す裕太に驚く内海が描かれます。どちらも劇という“虚構”に感動するシーンですが、それにも人それぞれ異なる価値観があることが示されています。
たとえ感動のポイントが違っても相手をバカにしたり、茶化したりしないところまで含めて裕太たちのようなスタンスでいたいところです。
虚構にも個人差があるのは、それぞれがグリッドマンの姿をメモに描き留めるシーンにも繋がっていきます。各キャラクターたちが思い描くグリッドマン。千差万別の姿のこのメモがその後の戦いの糧になっていく様子も、そのままそれぞれの価値観を尊重するシーンといえます。
そしてそれらと対照的に描かれるのが今回の“黒幕”です。
「グリッドマンは私のもの」だと訴え、すべての宇宙を自分のものにしようとするその素振りは、前述の物事にはさまざまな見方があるという考えに反するものです。
虚構に対するスタンスについても、『グリッドマン ユニバース』でははっきりとエゴを丸出しにするのは“悪”とされているといえます。その点は、虚構を信じるにしても気をつけなければいけないところでしょう。