熱い闘いが繰り広げられてきたバトル漫画・アニメでは、命と引き換えに大きな力や成果を得る“捨て身の技”が繰り出されることがあります。次の3人は、「命と引き換えの捨て身の技」を繰り出し読者に衝撃を与えました。
◆ドラゴン紫龍が黄金聖闘士・シュラに放った「廬山亢龍覇」──『聖闘士星矢』
十二宮編で紫龍が対峙した磨羯宮(まかつきゅう)を守護する山羊座(カプリコーン)・シュラは、黄金聖闘士の中でも屈指の力を持っていた射手座(サジタリアス)・アイオロスをその手で屠った実力者。青銅の数段格上である黄金聖闘士の圧倒的な力と、シュラの右手に宿る聖剣(エクスカリバー)の前に、紫龍は成す術がありませんでした。
万策尽きた紫龍は覚悟を決め、師匠である天秤座(ライブラ)・老師から“禁じ手”とされていた捨て身の技である「廬山亢龍覇』を放ち、星矢、氷河、瞬に女神を託してシュラもろとも天へと昇っていったのです。
「廬山亢龍覇』を放ってからの上昇中、紫龍とシュラのやり取りが描かれていますが、シュラから「自分が死んでの勝利などなんの価値があるのか!?」と問われた紫龍は「女神(アテナ)のためだ!!」と言い放ちます。
力や勝利がすべてであり、それを得た者こそ“正義”を名乗れると疑わなかったシュラは、この言葉に感銘を受けて自分の考えを悔い改め、咄嗟に自身の黄金聖衣(ゴールドクロス)を紫龍に纏わせ、「廬山亢龍覇』の衝撃から解放して逆に自分が犠牲となり紫龍を救ったのでした。
このシーンを見ていた当時の少年たちは、自身の誤りを正すことへの勇気や、見込んだ相手に命を託す美しさを学びました。また自己犠牲を自己犠牲で返すという稀有な展開は、今なお語り継がれる「捨て身の技」の80年代の代表といえるでしょう。
◆花京院典明がダイイング・メッセージとして放った「“最後の”エメラルド・スプラッシュ」──『ジョジョの奇妙な冒険』(第3部)
頭が良く分析力に長けた花京院は、ディオとの攻防の中で彼のスタンドが接近型であり飛び道具がないことを推察し、対策として「法皇(ハイエロファント)の結界」を布いてディオを追い詰めました。しかし、ここでディオの「時を止める能力」が発動。結界は破られ、逆に花京院は致命傷を負わされることに……。
花京院は息絶える間際、ディオの能力が「時を止める」ものだと気づき、残された力を振り絞って時計塔に向かって「“最後の”エメラルド・スプラッシュ」を放ち、時計を壊すことでディオの能力を伝えるのでした。
直前に自身の幼い頃を回想するシーンが描かれますが、一般人には見えないスタンドの存在により心を閉ざして生きてきた花京院。彼が同じ能力を持った承太郎たちと出会い、初めて心を通わせることができたことから、両親を想いながらも最期は「仲間に情報を託す」ことを選択した、何とも泣ける技でした。
◆マイト・ガイがうちはマダラに使った八門遁甲・第八“死門”開放による「夕象(せきぞう)」──『NARUTO -ナルト-』
忍界大戦後半、ライバルであり親友でもある、はたけカカシの応援に駆け付けたマイト・ガイは、歴代火影やカカシらがまったく歯が立たないほど強大な力を持つうちはマダラを食い止めるため、「自分の命と引き換えに火影をも超える力を得る」という八門遁甲の最後の門である“死門”解放により最後の技『夕象(せきぞう)』を放つのでした。
「木の葉の碧き猛獣」を自称していたガイは、死門を開放して良いのは「自分の大切なものを死んでも守り抜く時」と父に教えられており、それが“今”だと察したガイは迷うことなく死門を開放。血が沸騰する特有のオーラから付いた異名である「紅き猛獣」となり、夕象5連打から最後の一撃『夜ガイ(やがい)』によってマダラに大きなダメージを与え力尽きました。
ガイはその後、駆け付けたナルトの力によって奇跡的に一命を取り止めますが、八門遁甲により歩けなくなり忍界大戦終結後は車椅子で生活を送ることになります。
──人の一生は限りあるものだからこそ、誰しも「1日でも長く生きていたい」と願うのが当然でしょう。
しかし、それと同時に「誰かのため、善いことのために死ねたらカッコイイ」という漠然とした願望を、大なり小なり持っている人もいるかもしれません。
だからこそ、現実世界ではありえないようなバトルアニメの世界に没入し、仲間のために命を賭して闘うキャラクターたちに願望を重ね、最期を“善”で迎えたいという思いに迎合するのでしょう。
〈文/lite4s〉
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