アムロ・レイは、劇場アニメ『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』でアクシズ落としを防いだあと行方が分からなくなりました。
一年戦争中、ニュータイプとして覚醒していく一部始終を間近で見ていた元ホワイトベースクルーたちはアムロの行方不明後、彼をどのように偲んでいたのでしょうか?
◆艦長室に戦友の写真が──ブライト・ノア
ブライトはアムロがガンダムに乗ったときから、アクシズ・ショックの際に行方不明になるまでを知っている戦友です。
アムロがいなくなったあとも、ラー・カイラムの艦長室に彼の写真を飾っていることが、『機動戦士ガンダムUC』の作中で描かれています。
一年戦争の当時は、反目し合う場面も多く、思春期のアムロにガンダムを乗り逃げされるなど、悩みの種でありながら頼らずにはいられないという歯がゆい存在でしたが、戦争も終盤になるとアムロ自身の成長とニュータイプとしての覚醒もあって、信頼関係を作ることができていました。
その証拠に『逆襲のシャア』の頃には大佐であるブライトに対して、大尉のアムロがタメ口を聞いています。
これは元々アムロが民間人で軍属ではなかった頃からの付き合いであることや、その信頼に答える活躍をしてきたことで、上限関係を越える関係を築いたことが理由でしょう。
◆自分なりの弔いをしている姿が──カイ・シデン
一年戦争時はアムロのガンダムと並んでガンキャノンで戦ったカイはジャーナリストとして、漫画『機動戦士ガンダム 英雄伝説』でアムロが行方不明ではなく、命を落としたという明確な証拠を探しています。
ジャンク屋のゲモンがガンダムらしきモビルスーツの残骸を回収したという情報を得たカイは、ジャーナリストとしてその残骸がアムロの ν(ニュー)ガンダムの物ではないか確かめるためにシャングリラに向かいました。
結局その残骸はガンダムMk-IIの物であり、アムロの行方は分からずじまいでした。
このときの出来事をカイは、漫画『機動戦士ガンダム ピューリッツァー -アムロ・レイは極光の彼方へ-』でふり返り、単なるジャーナリズムではなく、友としてアムロのことを自分なりに弔ってやりたかったという気持ちを自覚しました。
◆劣等感と憐れみの果てに──ジョブ・ジョン
ジョブはホワイトベース隊で数少ない軍属の青年でした。
一年戦争後は故郷で一時「英雄」ともてはやされますが、次第にアムロを始めとした民間人の少年たちよりも活躍できなかった正規軍人として蔑まれるようになります。
一年戦争中もパイロットとしての才能に恵まれたアムロとの関わりの中で、羨望と同時に、恵まれたが故の不幸を感じとり、その気持ちを割りきれないまま時を過ごします。
漫画『機動戦士ガンダム デイアフタートゥモロー ―カイ・シデンのメモリーより―』で描かれた一年戦争展でカイと再会したときには連邦軍を辞めてサナリィに入社しており、アムロに対する複雑な感情は、ジョブをガンダムF90の開発に向かわせていきます。
漫画『機動戦士ガンダムF90』や『機動戦士ガンダムF90FF』では「ニュータイプを不幸にしない」という一念もあり、老獪でマッドサイエンティストのような言動も見られますが、心根の純情なジョブの面影は残っています。
F90がガンダム顔であることや、搭載された疑似人格コンピュータのモデルがアムロとシャアであることもジョブが開発責任者だったことが影響したのでしょう。
自身にもっと力があれば、アムロをはじめとした戦友を失わずに済んだのではないか。ジョブなりに悩み続けた形跡がうかがえます。
◆「本当のアムロさん」を探しに──キッカ・コバヤシ
一年戦争時に孤児として乗艦し、そのまま終戦までホワイトベースでアムロたちとともに過ごしたキッカは19歳になり、ファンタジー小説を発表する大学生小説家になっていました。
漫画『機動戦士ガンダム ピューリッツァー -アムロ・レイは極光の彼方へ-』で、キッカは主人公として、アムロの実像を描いた小説の執筆を企画し、取材の旅に出かけています。
アクシズ・ショックで行方不明になったアムロについては伝記や小説が多く書かれる中で、キッカは自身がホワイトベースで接していたアムロとの違和感を覚えます。
養母となったフラウから聞く幼馴染としてのアムロや、養父ハヤトからの手紙。カイ、ジョブ、セイラ、ベルトーチカといった戦友たちや、長くアムロと会っていないと言う実の母カマリア・レイ。アムロを知る多くの人をたずねることで、当時はキッカ自身が幼かったから分からなかったことを改めて見つけていきます。
──時に軟禁されるほど恐れられながらも、アクシズ・ショックから地球を守った英雄アムロ・レイ。
けれどそれは誰かの眼差しを通して語られた物語でしかなく、見る人が変われば物語も変わります。それは連邦軍から英雄視されても、ジオン軍から見れば「白い悪魔」だったように。
誰にでも良い面と悪い面があるということではなく、誰の観点の話なのかが重要なのでしょう。
〈文/雨琴〉
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